LUISE ONOインタビュー:日本全国の街を彩る植物モチーフのミューラルを描くペインター
2018.05.31
鮮やかな色使いの植物モチーフで知られるペインター、LUISE ONO(オノ ルイーゼ)。今やイベントでのライブ・ペインティングやミューラル・フェスティバルなどにひっぱりだこの彼女をグループ展『FLOWER』の会場キャッチ(展示は終了)。ペインターになった経緯や制作中のアクシデント等、笑顔で赤裸裸に語ってくれた。
————平塚の出身ですよね? 小さい頃はどんな子供でした? 絵は描き始めたのは?
ルイーゼ「生まれは埼玉で、小学校の時に平塚に引っ越してきたんです。海と山に囲まれて育ちました。子供の頃は内気で、先生に指されたら泣いちゃうくらい気弱なタイプだったんです。絵は大好きで教科書に落書きしたりしてました。あとは、漫画の好きな場面を切り抜いて色を塗ってブックにしてましたね」
————ご両親も絵を描いたリ、観に行くのが好きだったり?
ルイーゼ「私の母は、私にルイーゼって名前を付けるくらいなので、若干変わってて…オタク気質もあるんですけど、シャネル大好きなバブリーな感じもあり。ゲームが好きで、ドラクエ・ファイナル・ファンタジーを全部網羅したり、テトリスは999,999点取ったり、かなり熱中するタイプでした。なので、私の兄はオタクですよ。母は絵も描いていて、トールペイントにはまるとずっとそればっかりやっているような人でしたね」
————本格的に絵を描き始めたのは?
ルイーゼ「通っていた大学に造形表現学科があって、そこでアートグループを作って活動していました。そのまわりにDJがいたり、特殊造形をやる人がいたので、アートイベントをやったりしていました。当時私はデコレーションをやっていました」
————外交的な性格になったんですね?(笑)
ルイーゼ「大きくなってからは、そうですね。外交的になりたくて、大学生になってたまたまやったバイトがスナックなんです(笑)。カラオケとかも大っ嫌いだったのですが。三軒茶屋のスナックだったので、濃い人しか来なくて、そこで鍛えられましたね。ある時、CDジャケットのデザイナーの方がお客さんで来て、そのCDが私の好きなアーティストだったので、手伝わせて下さいって頼んだんですよ。そしたら、現場とかよんでくれたりして、面白かったです。そこでは、デザインのアシスタントをさせてもらってパソコンを覚えたり、同時に大学も通っていたので、クラブでのアートのイベントに参加もしてました。そこでライブペイントを始めました」
————その頃はもう今みたいなスタイルだったんですか? 画材は主に何を使ってました?
ルイーゼ 「いえ、いろいろやって探っている感じでしたね。植物っぽいんですけど、モノクロで毒っぽい感じというか。その頃出会った絵描きの人たちがみんなポスカを使ってたので、それに影響されて私も使ってましたね。6, 7年くらい前の話しです」
————クラブでのデコレーションはどの辺りでやっていたんですか?
ルイーゼ「チームでデコレーションをしていた時は、WOMBなど渋谷を中心にやっていましたね。4つ打系のイベントでよくデコレーションをさせてもらいました。その流れでクラブでライブペイントをやるようになって、一番最初はclub axxcisとかでやってましたね。あとは、千駄ヶ谷にFICTIONっていうイベントスペースが前にあって、そこのライブペイントのイベントに呼んでもらえるようになってからいろいろと広がっていきました」
————仕事としてライブペイントをたくさんやるようになったきっかけは?
ルイーゼ「2013年にマクドナルドのビッグマックのCMに出演したんです。輪派絵師団のサポートで入って、私も絵を描いたんです。そのCMがお正月に流れていたので、みんなに見てもらって。そこから壁画を頼まれるようになりました」
————撮影は緊張しましたか?
ルイーゼ「めちゃめちゃしました。初めてのクライアント仕事だったので。でも、輪派の人たちが年上でしっかりしていたので、なんとか無事に」
————3年前に日本で一番最初にやったPOW WOW(*)にも参加しましたよね?
ルイーゼ「POW WOWは日本の主催の方から直接連絡が来て。まず、渋谷で描いて、その後天王洲にもよんでもらいました」
————初回のPOW WOWには、USUGROWさんとか、HITOTZUKIさんとか、素晴らしいアーティストが参加していましたが、彼らとは前から交流はありましたか?
ルイーゼ「絵は知っているけども、話すのは初めてっていう方がほとんどでした。shizentomotelさんとHITOTZUKIさんは平塚のウチの近所に絵があるので、それをずっと見て育ちました。なので、お会いした時はテンションあがりましたね。HITOTZUKIさんは(壁が)隣だったので、緊張しました」
————POW WOWの時は制作期間はどのくらいだったのですか?
ルイーゼ「1週間って決まっていました。まわりはキャリアも全然違う先輩達ばかりだったので、恥ずかしいものにならないように全力を尽くそうと思ってやりました」
————サイズはどのくらいだったんですか? また、今まで一番大きい壁のサイズは?
ルイーゼ「POW WOWの時は、私のは小さいボックスの型でした。これまで描いた一番大きな壁は100平米以上で、3階建てくらいの高さで横が12,3メーターでした。つい最近も75メートルくらいのをやって、結構大変でしたね」
————そのくらい大きい壁だとどのような作業工程になるんですか?
ルイーゼ「台湾で大きな壁に描いた時は、高所作業車に乗って、大きな紐を中心から円を描いてあたりをつけました」
————完成して全体を見た感想はどうでした?
ルイーゼ「作品としてはちょっと反省が多かったです。というのも、1週間しかないのに、半分は雨だったんです。最後の方は高所作業車は2人乗るのが限界なのに、3人で乗って、私が描いて、1人が傘を持って、もう1人がドライヤーをあてるっていう。途中、雨の日に焦ってブルーシートの上で転んで高所作業車に頭をぶつけて5針縫うケガをしてしまったんです(笑)。それで1日つぶれてしまって…初めての海外の仕事で、ケアしてくれる人もみんな外国人の方で、つたない英語でコミュニケーションを取っていたのに..。大泣きしちゃいましたね。ケガも痛かったんですけど、メンタル的に痛過ぎて(笑)。でも、海外のアーティストがとても優しくて、自分たちの絵が終わった後に手伝ってくれたり、「大変だね」とか同情するようなことを言うんじゃなくて、「好きなアーティストは誰?」とかそいう話しをしながら手伝ってくれるんですよ。一絵描きとしての会話をしながら完成するのを手伝ってくれました」
————豊島区の公衆トイレに描いていましたが、あのプロジェクトはどういう経緯で関わることになったのですか? 公共のトイレって女性は入りにくいのですが、きっとルイーゼさんの絵のおかげで入りやすくなったんじゃないかと思います。
ルイーゼ「豊島区からターナー色彩株式会社という絵の具メーカーに話しがあって、そこから推薦してもらいました。あのような町に関われるプロジェクトに参加できたのはとてもよかったです
————公共の施設にミューラルって、時代が変わったなと思いました。海外に比べると日本はミューラルに対する理解が低いと思いますか?
ルイーゼ「最近はめちゃくちゃ増えてるように感じます。instagramの流行と共に、いろんな人が写真を撮れるスポットを作りたいっていう市や企業がとても増えているように感じます。
————今はゲルニカでグループ展をやっていますが(現在は終了)、今後の予定は?
ルイーゼ「美容室や飲食店の壁をいくつかやる予定があります」
————みなとみらいのMarine & Walkのハワイアンレストランの店内の絵もステキですよね?
「DRAGON76さんと一緒にやったやつですね」
————DRAGONさんと一緒の現場になることも多いんですか?
「多くはなですが、DRAGON76さんと同じ人にマネージメントをお願いしてもらっている経緯もあり、お会いするタイミングもちょこちょこ。同じ現場の時は本当に楽しくて、いつも刺激されます。それとは別で、富岡美紀さんという動物をモチーフに描くアーティストと MiLというゆるいユニットも組んでいます 」
————ルイーゼさんといえば植物ですが、他のモチーフを描くこともあるのですか? たとえば、リクエストがあったりとかで。
ルイーゼ「描けるものに限界があるので。できて動物くらいですかね。基本は植物です。1回、ビルを描いたことがあるのですが、角がきっちりしてるものがダメみたいです。チェック柄とかも見てると酔って来ちゃうんです(笑)」
————今後のエキシビションの予定があれば教えて下さい。
「6月12日から中目黒のsolfa Tokyo、7月11日から赤羽のAERU COFFEE STOPであります」
*ハワイのカカアコ地区でスタートしてアートと音楽のフェス。日本では2015年にスタート。詳しくは創始者ジャスパーのインタビュー参照。
【ルイーゼオノ プロフィール】
Artist,Painter
1989年生まれ。神奈川県平塚市出身。
“成長(grow up)”をテーマに、植物の生い繁る様や波の流れ、自然界に溢れるエネルギーを有機的な線で表現している。2010年、クラブイベントでのライブペイントにてキャリアをスタート。その後、店舗壁画や企業コラボを経て、現在は主にシェアハウスやオフィス、飲食店の壁画製作を行っている。
writer: Atsuko Matsuda