AQUI TOMLA インタビュー: 果たして楽園は存在するのか。3月14日より開催する個展で世界各地で撮影した作品を展示
2025.03.13

10代の頃から墨絵作家として活動しアートやデザイン分野で数多くの賞を受賞。その後、アートの制作から離れ、環境問題に取り組み様々なプロジェクトを遂行したAQUI TOMLA(トムラアキ)が、作家活動を再開。3月14日に個展をスタートする。我々人間の本質的な世界観が向かう先を探りながら、アートを媒介としたコミュにティ形成に注力しているAQUI TOMLAに、これまでの経歴や個展について語ってもらった。
独学で学んだ墨絵の作品が気に入られ、フランスで画集を出版することに
――アキさんはもともとは墨絵作家ということで、どんな活動をしていらしたのでしょうか。
「10代に制作した作品で画集を出していただき、それがきっかけで21歳頃フランスでスポンサーがついて、フランスのWilliam Blake&Co,Editから出版したのですが、ここで出版したアーティストは将来、シャトー・ムートン・ロートシルトのラベルを描く様なアートでは名門の出版社だとあとから聞きました。遠くへ行きたい、本を出したいといった子供時代の夢が20代前半で実現してしまったので、このままでよいのだろうか? と思い始め、その時点では、作品が美術館やギャラリー、書籍といった中にあり、室内から屋外に出ないことから、孤独や自身の社会性のなさを感じはじめていました」
――墨絵は美大で学ばれたのですか?
「独学です。自分が描いた絵をファイルの表紙に入れて渋谷の街を歩いていたんです。そうしたら、それを見た人に誰が描いたのか聞かれて。とある作品集が大ヒットして、印税対策兼ねてと提案してくれた出版社があり、とんとん拍子で出版へ。その本がきっかけで海外まで広がっていきましたが、出産を機に、アートからデザインに転向しました。デザインならチームで仕事ができ、作家時代に悩んだ社会性を培う学びもあり、街にも仲間と取り組んだ作品が残る。母子家庭で一人で子育てしていたので、経済的にも精神的にもアートよりデザインの方が安定していたように思います」
――デザインも独学ですか?
「はい。学びたい先生がいなかったので、大学にも興味がなかったです。独学で始めた頃、DESIGNTIDE TOKYOの立ち上げのアートディレクターにお声がけいただき、その後に企画プロデュースもやるようになって、今はクリエイティブディレクターという職業ですが、子供が手離れしたと実感したのでアーティストに戻ろうかなと」
和紙を顕微鏡で拡大して研究する日々
――美術系の学校には通われなかったとのことで、墨絵は具体的にどのように学ばれたのですか?
「独学で徹底的にやりました。墨ができるまでの工程を京都に見に行ったり、どこの和紙がいいかも全国調べましたね。雁皮(がんぴ)というとても高額な和紙があり、雁皮に描いた絵や写真はヨーロッパでもコレクションアイテムになります。ポツダム会談など歴史的に重要な文書は日本の雁皮が使われていました。そういう紙を顕微鏡で拡大して、どんな濃さの墨がどこまで伸びるのかなどの滲みの研究などで一年を終えることもありました」
――かなりのオタクですね! どんなもモチーフを描いていたのですか?
「最初は象形文字のような形。漢字になっていない、感情を表すための文字を”感字”(フィーリングキャラクター)と呼び、描いていました。ある日その作品を持って渋谷を歩いていたら本になったんです(笑)。実感無く自分の希望も伝えないまま事が進み、ふと立ち寄った六本木の青山ブックセンターで自分の本が山積みにされているのを不思議な気持ちで手に取ることもなく眺めたことが忘れられません。”感字”の延長が大阪梅田にある商業施設「E〜ma」です。人間、時間、空間という建物内で共有される「間」をコンセプトに現代の西洋でも東洋でもない私達の生活を文字にした作品です。その後は、形あるものを大きな紙にちょんと描いていました。その頃は、蜂や魚を描きたかったわけではなく、空気や水を描きたかった。余白を描くための捨て石(俳句用語)として描く表現に変化していましたが、魚描くの上手ですね、と言われ続ける感じで余白を描くシリーズは完成しないままデザインへ移行していますね」
環境問題を調べていくうちに環境とデザインを繋ぐ会社を自ら設立
――2004年に環境問題に取り組み始めたきっかけは?
「愛知万博の前に大手代理店のイベントブースのためにクリエイターが集められて話をする機会があり、それから環境問題を調べ始めたら、そういう祭りのような機能で解決する話じゃないかもなあ…と思い始めて、それはお断りして。その頃、環境とデザインを繋ぐ会社がなかったので、そういう会社を知り合いと作りました」
――今だと環境とデザインを同列に考える会社はありますよね。
「はい、今は一般的にそういったプログラムができます。その頃はまず、偽善者と陰口を言われ嫌われ友人も随分減りました。しかし、環境に配慮したマーケットが主流になると人気復活。まだどうすればよいかわからない人や企業が大半で、クリエイティブ系の案件で、ここの会社に頼めば環境配慮がされたアウトプットが自動的に提案されるという日本で最初の窓口ではなかったかと思います。排出権取引には関わらず、生態系の復活や地産地消などを軸にプログラムしていました。CO2はわたしには見えませんから、約束できる解決策ではなかったのです。会社全体では、1つ商品を買うと、1本植樹されるという森作りの取り組みや、わたしも個人では「日々本」という世界初の木を植えるセレクトショップのサイトを運営して、古物の販売で森づくりの寄付を集めました。しかし、企業同士が植えた木の本数を競い出し、本質から離れていく状態をみて、また別の課題へ移行しました」
――「環型社会を軸にした取り組みを行ってきましたが、経済的競争が目的となることが多い」とリリースに書いていらした通りですね。
「本質的な改善をしようと思ったら、高いけど買う、寄付する、といったようなお金では解決しない。巡り巡ってアートには力があるんだなと思い、今に至ります。今言われる様々な問題は、環境や経済などの様々な問題ではなく、人間の世界観の問題ですから」
畑での作業がもたらす哲学的思考
――2024年には農業を、2025年には作家活動を開始とのことで農業はどこか移住されたのですか?
「まだ、移住は実現していないんです。九州に不知火(しらぬい)という海があり、そこに一目惚れして通っています。不知火は不思議な自然現象で、海の上にぽっと1つ炎があがり、その後シンメトリーに炎が並び輝きます。近づくことができず、追えば離れる。昔の人はそれを海で命を落とした人の魂だと言ったり、海の下にある活断層からでるガスに火がつく説、漁をしている漁火の光が反射している説、様々ですが、世界でここだけに存在する科学的に解明されてない自然現象のようです」
――そこで何を栽培されているのですか?
「様々です。農業人口を増やしたくて。日本の伝統的な自然栽培で今の食生活とか気候に合うものを思いつきで育てていたら、見たことないような畑になって、近所のおじいちゃん、おばあちゃんに笑われています」
――不知火海を頻繁に訪れるようになったことは、アートの制作に影響を及ぼしましたか?
「そうですね。前から自然の摂理や生態系には興味がありますが、ますます好きになりました。人間中心ではない社会を目指しているので、いかに共生共存ができるかの実験場です。職業ではないので、現状虫も動物もどうぞといういう畑です。そうするとすごく面白くて、弱った芋虫から鳥に食べられたり、土が荒れているところに虫が集まってきたり。面白いなと。とはいえ、遊んでいるわけではなく、実は、農家さんができないことをあえて実験しようと心がけています」
――自然の法則ってすごいですね。放っておくとカオスになりますが、そのカオスから秩序が生まれると言われますよね。
「そうですね。誰が田んぼの内と外を決めるのかとか、雑な草って呼び方なんだ、とかすごく哲学的なことを畑にいると考えますね。いくら手を加えても様々な生き物、現象が蠢き合い自動的に向かう景色がある。これを神が初期設定した不動な仕組みとして、ファイナルデザインと呼んでいます。都市にいると情報が多くて自然より人のことを心配していることが多い。畑では、自分も草として共に佇むような気持ちになります。本来の人間の居場所、役割は何かとファイナルデザインを学ぶ場です」
個展の裏のテーマは、旅人たちの「楽園探し」
――今回の個展「Elysian Solitude The Hidden Traveler」についてうかがいます。今回は墨絵でなく、写真の作品を展示されるのですよね?
「そうです。墨絵って死にたくなるんですよ。がーっと集中しないとできないので。私にとっては、闇の世界の入口で入り込むと危ないんです。まず墨を刷っていると気がふれるっていうか。わたしにとっては、白い紙が光で、墨が影(宇宙)という光と影の作品を墨で描いていたのです。10代の初期作品から光と影、男と女、天と地、といった対のものをテーマにしていました」
――作品にしようと意識的に思って撮り溜めていましたか?
「もともとわたしの旅そのものが、今回のテーマと重なっていますので、自然な流れかもしれません」
――アキさんにとって楽園とは?
「あの世かなと(笑)。そもそも、苦しい状態にいなければ楽園を求めないと思うのです。どの文化にも楽園という概念がありますが、それがあること自体、現状が辛く厳しいということかなと思うのです。わざと綺麗な写真を変な色にしているのは、最終的に現状、楽園はないかもしれない、という私のフィルターともいえますが、目に見える現状を疑えという象徴かもしれない。反転することで、別世界の景色であるという認識が生まれる。目に見える物事の裏側、背景、描ききれなかった余白にあるものを知りたいことは変わらない。SNSによくみるこの世界は、美しい、と共有したいと思うほど私はピュアな旅人ではない(笑)。 世界各地で見かけるトラベラーの大半は、現実逃避が多い印象です。ときにはわたしもそうありますが」
アートは見る人の心を投影するもので、気づきを得るための装置
――写真は固定の被写体があるがゆえに、絵より自由度がなく、メッセージ性を入れ込むのが難しいと思ってしまうのですが、いかがでしょうか?
「アートの役割として、共感を生み出すところが最大の魅力であり、後の一国の資産にまで成り得る所以だと思うんです。人種や宗教を超えて、一つのアートに共感した人たちが共通の新しい価値観を持ったり、コミュニティを生み出したり。それに関わる感覚です。他の作家さんの作品も絵自体の構図がどうとか素材より、この世の中どう見てる?という共感を生み出す装置から固定概念を壊すために見える化する仕事だと思い鑑賞しています。鑑賞していて気になるものって足が止まるじゃないですか。足が止まるということは、独自の視点で意識が芽生えるサインなんです。自分の魂の目が作品とあなたを一体化させようと投影して、何かを得ようとしている。そこで問えば、深いところから想いを引き出せると思います。そこから自分と向き合い、新しい気づきを得られるのではないでしょうか。そこに価値が生まれます」
――日常生活では同じことの繰り返しで、なかなか自分の内側に気づきを向ける機会がないですからね。
「人間って朝起きて寝るまでに平均7,000回くらいの選択をしているそうです。今、起きようかなにはじまり、何着ようかな、どの道を通っていこうか、何を食べようかと常に外部に向かって何かを選択し続けている。目に止まる言葉や絵は、自分が気づかぬ欲望をキャッチしていることが多い。だから、面白いですよね。インスタなどのSNSからも実は探しているが、現状は、ただ好き嫌いを判断しているか、情報を仕分けているだけかもしれない。見つからないので中毒性があり、いつまでも時間を費やしてしまう。それではないところで、アートがもう一回再編集された形で見直されて共感を生み、新たなコミュニティーや思想を生み出す機会が生まれたら、また新しい文化が生まれ、新経済を生み出す可能性もありますね」
――今はアートブームで今まで以上に多くの人がアートに触れている印象はありますが、いかがでしょう?
「先日、アートで村おこしをしたいという相談があり、ある地域にうかがったのですが、皆さん、アートはわからないと。それもそのはず、学校教育の、美術や音楽は、技術だったからなんですよ。青と赤を混ぜると紫色になります。音符の通りに声が出せないと音痴といったような。再現性を重視する産業系の仕事に活かす意味では日本人に向いてたと思うのですが、この絵をみたらどんな気持ちになるか、が欠けていたのかも。自分がいかに感情や経験が豊かである人間であるかを確認するのが世界でスタンダードなアートとの向き合い方のような気がします。ピナバウシュなどの前衛的なダンスにしても、ステージ上でダンサーが振り向いてスポットライトを浴びて5分止まっていると、私は腕時計を見て退屈しますが、ヨーロッパの観客は次第にシクシクと泣き出す音がちらほら聞こえてくる。ダンサーの姿に自分を投影させて、例えば、「父が去った、あの時の自分みたいだ」って、自分の中にあるあらゆる感情を無理やり掘り起こして、理解ある、経験豊かな人間であることを確認したいのか、ケセラセラな私とは違い、鑑賞するという行動の先にゴール設定があるようにさえ見えることもある。私も美術館へは、自分の内面と向き合うための鏡としてのアートがあるので一人で行くことが多いです。もしくは鑑賞する対象に合わせて対話ができる人といきます。日本ではあまりそういう文化がなく、私が素敵だと思うよりも、みんなが素敵だという評価で価値を確信するのが現代は多い気がしますね」
――日本では商業寄りになりやすいですよね。
「そうですね。でも、西洋のスタンダードに合わせる必要は全くない。時代が変われば今の状況も時代の象徴になり価値を持つでしょうね。今、次世代のメディアアートが面白いですね。ファンタジーを得意とする日本から新しいアートが出てくると最強でしょうね」
観る人の心の鏡として作品を眺めてもらえれば
――今回の個展ではどのくらいのどのくらいの作品を展示するのですか?
「作品自体は50点くらいあるのですが、ギャラリー側に8点選んでもらうことにしました。図録も作りますので、額装はされていませんが全体作品は観ることができます」
――長年にわたり「人間の本質的な世界観はどこへ向かうべきか」というテーマに向き合っていらっしゃいますが、今、どこへ向かっていると思いますか?
「現代の多くの社会課題の根源にお金が関わるのではないかと考えています。お金での価値変換に依存しすぎている。じゃあ、物々交換ということでもなく、お金ではない価値変換が存在することに人々が気づけば、今の価値観からくる競争や嫉妬などを少しでもほぐすのではないかなと。そういったコミュニケーションや生活の事例をつくるのも一つのアートかもしれず、それらも新しい道標になるかもと。今、地方に土地が空いているので、農業をやるとか、自給自足をやるとか、そういう方法で面白い大人の見本ができれば子供たちがそれについてくることができるんじゃないかなとも思っています。お金の価値観を外して、どんな職業になるのかではなく、どんな大人になりたいかと子どもたちと対話ができるのが理想です」
ーー最後に8作品をどのように楽しんでもらいたいですか?
「写真は、身体としての目で見た世界ではなく、心でみた世界を撮り続けています。一枚の額縁ではなく、それらを鏡として自身を投影してほしい。観光気分で観るものではなく、例えば、目が覚めたらここにいたが、はて、どうやって生きていこう、でもよい。普段の現実世界を外して自分の心象から問いを導き出すための”観る瞑想”として。自分の心の鏡として向き合う時間をいただけたら嬉しいです」
【プロフィール】
トムラアキ (Aqui TOMLA)
墨絵作家として国内外で活動した後、アートからデザインの分野に転向。商業施設のネーミング、コンセプト策定、デザイン、プロダクト開発など、新規ブランドの立ち上げに従事。2024年には、環境とデザインを結びつける会社を設立し、クリエイティブディレクターとしてプロジェクト全体の企画と統括を担当。排出権取引ではなく、木の植樹を通じて企業と共に自然循環の再生を進め、日本の雑誌にて「世界の環境企業Best50」特集にも選出された。以降、環境負荷の少ない事業開発を専門とする。
アートディレクションおよびデザインの分野では、アメリカやイギリスをはじめ、数多くの国際的なアワードを受賞。著書『70 Japanese Gestures: No Language Communication』は、日本、アメリカ、ブラジルなどで出版され二万部以上を売り上げている。『EKIBEN The Ultimate Japanese Travel Food』は2017年にGOURMAND INTERNATIONAL Awardのデザイン部門でグランプリを受賞。また、作品集『Le Corbeau』はWilliam Blake&Co,Edit社よりフランスおよびギリシャで出版されている。2006年にi-Dクリエイティブ・アワードのコンセプト部門でグランプリを受賞後、作家活動を引退。2024年より農業を。2025年より作家活動を再開した。
【開催概要】
タイトル: Elysian Solitude The Hidden Traveler 「エリシアン・ソリチュード 隠された旅人」
作家:Aqui Tomla
会期:2025年3月14日(金)〜4月6日(日) 会場:LOWW(東京都目黒区大岡山1-6-6) 時間:12:00 ~ 20:00
休廊:水曜、木曜
Website:www.loww.co.jp
writer: Atsuko Matsuda