ESOWインタビュー:和のグラフィティ・スタイルで日本の四季をフレッシュに描く
2019.07.08
プロスケーターとしての経歴を持つ一方で、十代後半にアメリカで直に体験したグラフィティに大きな感銘を受けて、80年代後半にはグラフィティライターとしての本格的な活動を開始したというESOW。その後、完成させた、和のテイストを盛り込んだスタイルは各方面から高い評価を受け、国内だけでなく、海外のアートシーンからも熱い注目を浴びている。今年5月には、約5年ぶりとなる作品集『絵僧暦・DAILY ESOW』をBueno! Bookより刊行し、さらに作品の出版を記念した個展を5月から6月にかけて、渋谷・千駄ヶ谷のSLOPE GALLERYにて開催。その個展会場にて、彼の30年以上にわたるアーティストとしてのキャリアの一部を振り返ってもらい、さらにこれからの活動に関しても話を聞いてみた。
絵の世界に入ったきっかけはスケートボードのグラフィック
ーーー最初に絵の世界に入ったきっかけは、スケートボードからでしょうか?
「そうですね。やっぱりスケートボードのグラフィックがデカいです。Michael Seiffとか、DOGTOWNのグラフィックを描いていたBulldog(West Humpston)。あと、SANTA CRUZのJim Phillipsとか、ああいう感じの絵に影響を受けて。スケートデッキに貼る黒いテープにポスカとかで、その頃に好きだったバンドのロゴとかを描いたりしてました」
ーーーグラフィティに出会ったのは、十代の頃にLAへ行ってからですか?
「その前に『Spraycan Art』と『Subway Art』っていう本が出てて。多分、中学生の頃にその2冊をパルコ・ブックセンターを見たのが最初ですね。その後に『Wild Style』とか『Style Wars』といった映画を観て、『グラフィティ、熱い!』ってさらに思うようになって」
ーーー実際に自分でグラフィティを描き始めのは?
「グラフィティとして描き始めたのは、多分、LAでかな? 最初はバスにちょこちょこっと描いたりして。適当に名前を決めてストリートでも描くようになりました」
ーーーその頃(80年代後半)は、ちょうどLAのグラフィティの最初の黄金期だった時代ですよね?
「そうですね。当時、LAで住んでいた家の近くに、昔、電車が通っていた跡地のモーター・ヤード(Motor Yard)っていう有名なグラフィティ・スポットがあって。そこにしょっちゅうグラフィティを観に行ってました。あと、メルローズのほうに行ったら、HEXとかMEARのグラフィティがあったり。それから、その時代、LAではCHAKAっていうやつが、めちゃくちゃ沢山描いていて。壁から電話ボックス、高速の看板とかLA中に『CHAKA』って描いてあって、『本当に一人なのかな?』って思うくらい凄かったですね」
『お前、こんな靴はギャングスタか体育の先生しか履かないんだから、ヤメろよ』って、周りのスケーターには言われてました
ーーーその時期のLAってギャング全盛期でもありますよね?
「LAに行ったのが、『Colors』っていう映画が上映されたすぐ後で。多分、ヒップホップで言うと、N.W.A.全盛期でもあって。ちょうどN.W.A.のアルバムの『Straight Outta Compton』が出た頃ですね。街中にコルテッツ履いて、ディッキーズ履いて、チェックのシャツで前のボタンを全部留めてみたいなやつばかりいて、俺も同じような格好をしてました。『お前、こんな靴はギャングスタか体育の先生しか履かないんだから、ヤメろよ』って、周りのスケーターには言われてましたけどね(笑)」
ーーー日本に帰ってきて、本格的にグラフィティを始めたのでしょうか?
「そうですね」
ーーーその頃の日本のグラフィティシーンはどんな状況でしたか?
「始まったばかりっていう感じかな? やっていたのがKAZZROCKとかTOMI-Eとか、そこら辺の人たちくらいで。KAZZROCKとは仲も良くて、町田の公園のデカい壁とかで一緒に描いたこともありましたね」
ーーーその頃のスタイルは、もちろん今とは違ったわけですよね?
「下半身がデカくて、カンゴールの帽子をかぶったような、まさにBボーイっていう感じのキャラクターを描いたり。あと、レターも描いたりしていました」
ーーーそういうところから、どうやって今のスタイルへ移行していったのでしょうか?
「TWISTにはすごく影響を受けましたね。『真似してる』とか言われたりもしてますけど。分かんないけど(笑)。でも、正直、グラフィティをずっと追っかけても、そもそも海外のものだし、アメリカには敵わないかなって。だから、もっと日本っぽいものを描きたいって思いがあって。グラフィティに日本のものを上手く混ぜて、良い感じに出来ないかな?っていうのは考えてましたね。それで、日本画の手法も取り入れるようになって。洋画と違って、日本画ってアウトラインがあって、細かくディテールを墨で描くっていうやり方で。そういう筆の使い方とかを、すごく気にするようになりました。筆の入りとかも、尖って、太くなって、また細くなるみたいな。あの感じを自分の絵にも取り入れてみたいなって」
日本ならではの行事っていうものに特化して描いていこうって気持ちはある
ーーー日本画という意味では、やはり浮世絵の影響も大きいでしょうか?
「そうですね。最初はグラフィティがすごく好きだったから、そういうものしか観ていなかったけど。途中で浮世絵とかも観るようになってから、変わっていきましたね」
ーーー生活のバックボーンとして“下町”っていうのもあると思いますが、こちらも絵の要素として大きいですよね?
「下町の良いところって、昔の日本っぽいところが残っていて。春はお祭り、夏は花火みたいな年中行事で季節が区切られていたりとか。そういう文化と寄り添いながら生きているから、自分の絵でもその季節に合わせた、日本ならではの行事っていうものに特化して描いていこうっていう気持ちはありますね」
ーーー今回の作品集や個展でもたくさん描かれている、おじさんのキャラクターはどのように生まれたんでしょうか?
「グラフィティでもキャラを描きたいっていうのがあったんで。近所にいるような、昼から酔っ払っているおじさんとか。なんか、そういうイメージで。ちょいちょいマイナーチェンジはしているんですけど、もう10年くらいは描いているんじゃないですかね?」
ーーーこのキャラには自分も入っていたりもしますか?
「いや、特にそういうつもりはないんですけど。『似てるね』って言われることもあるけど、『俺はこんなに細くないよ』って(笑)」
ーーーこのおじさんが毎回、結構いろんなことをやっているのが面白いなって。
「自分の好きなことをこのおじさんにやらせるってう感じですかね。酒飲ませたり、スケートボードさせたり、サーフィンさせたり。自分が興味があること以外は描けないけど」
スケーターって良い意味で楽しいけど、悪い意味で適当。そういうところが好きだから、そういう人格の人を描きたいなと
ーーーそれから、スケーターである自分っていうのは、作品にも反映されていますか?
「そうですね。ルーツはそこにあるかなって、最近は結構思ってます。もちろんスケートボードをやっているところを描いたりしますけど。スケートボードの世界って、そんなに縦社会でもないし。良い意味ですごく楽しいけど、悪い意味で適当っていうか。スケーターって結構そういう、ヌルい奴らが多くて、そういうところが好きなんで。そういう人格の人を描きたいなと思ってますね」
ーーー今回の個展は、新しい作品集『絵僧暦・DAILY ESOW』に合わせて行なわれたわけですけど、この本を出そうと思ったのは?
「Bueno! Booksさんから以前、1冊(注:2014年発売の『SuiSui』)出してもらっていて、今回が2冊なんですけど。編集の方から『最近、すごく個展やってるよね? もう一冊新しいのを出さない?』って声をかけていただいて。まあ、絵描きだったら、本は出したいですよね。描いた作品はガンガン売っちゃうんで、手元には残ってないですけど、本にすることで『こんなの描いたな』っていうのが残るんで」
ーーー作品集のテーマはまさに“暦”ですけど、これは先ほどの日本の四季の話にも繋がりますね。
「それぞれに季節にやっている自分の好きなことを、おじさんにやらせるっていうやり口ですね」
ーーーちなみに好きな季節は?
「個人的には夏が好きですね。絵としてだけじゃなくて、単純に夏が好きです。暑い時に、海に行くのも好きで。意味もなく浸かりに行ったりしますね」
ーーー例えば、あそこの海を描いた作品とかは、浮世絵の『神奈川沖浪裏』からのインスパイアだったりしますか?
「もちろんそうです。北斎の絵はめちゃくちゃ観てますね。富士山がもっと大きかったり、大きな波を手にしたり、船が描いてなかったり、波の白い部分とかを足したり、細かい部分で変えてはいますけど、だいたいのディティールは一緒です」
ーーー今回の作品集や個展の反響は?
「結構、良い反響を頂いていますね」
ーーー浅草の地下道でやっていたフウライ堂が去年10月に閉まって。その前、2000年代には中目黒の商店街にあった大図実験に関わっていたりして。それぞれの時代の象徴的な場所でもあったと思いますが、次はまた何か考えていますか?
「次は人と一緒にやるんじゃなくて、一人で規模を広げようって思っています。一人のほうが小回りきくというか。アトリエを自分で借りて、そこで作業をして、地方とかで個展をやって。たまに東京でもやるときはやって。最近はそういう流れですね」
ーーーグラフィティライター二人(MIM、SKEM)と一緒にやっている緑道會の活動に関しては?
「緑道會は今もやってます。あれは腐れ縁というか、二人とも近所の飲み友達なんで(笑)。最初にあいつらが緑道會をやっていて、そこに俺が入ったんですよ。緑道會に関しては増えもせず減りもせずに、一生それで終わっていくと思いますね」
ーーー国内での個展以外に、海外でも結構活動しているイメージがありますが、海外からの反応はどう感じていますか?
「ヨーロッパとかの反応は良い気がしますね」
ーーー以前、人づてに聞いたのが、以前(2012年)、スイスでやった仕事が結構凄かったとか?
「あれはハンパなかったですね。Cave Fin Becっていうスイスのワイナリーからの依頼だったんですけど、いきなりInstagramのダイレクトメールで連絡があって、『顧客向けのイベントで描いて欲しい』って。ジャズフェスティバルで有名なモントルーからちょっと先の場所だったんですけど、空港から電車と車を乗り継いで、さらに山道をずっと行って、『マジ、どこに連れて行かれるんだよ?!』って(笑)。到着した時には外も真っ暗で、ここ『大丈夫なのか?!』って思ってたんだけども、朝起きたら草原に囲まれた、まるでハイジの世界(笑)。何個も部屋があるような大きい山小屋で、そこに招待されたグラフィティライターみんなで泊まって。着いた翌日は朝から車に乗せられて、ワイナリーまで行ったんですけど。着いたらヘリコプターが3台降りてきて、グラフィティライターを全員乗せて、空からアルプス山脈の観光をして。観光が終わったら、サッカーグラウンドみたいなところに降りて、そこがワインを卸しているっていうレストランで。そのレストランで素敵な昼ご飯を食べて。いちいち凄いなって(笑)」
ーーー参加したグラフィティライターは何人くらいですか?
「海外から5人で、地元のスイスから3人でしたね。REVOKとかMODE2とか、あとニュージーランドとか南アフリカのやつもいて」
ーーー絵はどのように描いたんでしょうか?
「ワインの箱を積んで壁にして、そこにスプレーで絵を描いて。それぞれのグラフィティライターごとにワインの銘柄も別々で。それを一箱ずつ分割して売るっていうイベントだったので、一応、どの部分を買っても良いように、何かしらディティールがあるような描き方はしました。描いた次の日にパーティがあって、そのパーティに顧客を呼んで。『私、これ買ったわよ!』みたいに言われたりして。イベントとしてもすごかったですね」
女性を描くと好みがバレちゃうから照れちゃって、描いてもクシャクシャって葬ります
ーーー話は変わって、今、日本のアートシーンをどう見ていますか?
「あんまり、シーンとしては見てないですね。好きな絵描きはいっぱいいるけど。どうなんですかね……。『こいつ、この値段?!』っていうのとかはいますけど」
ーーー(笑)そういう意味では、今回の個展の作品も、値段は結構抑えていますよね?
「スケーターの若いキッズとかでも、金を貯めたら買えるっていう値段で売りたいっていうのが正直なところですね。だから、あんまり高くは設定せずに。金持ちのジジイが買ってくれてもしょうがないし、若い子に絵を買ってもらえたほうが良いなって。そこはポイントですね」
ーーー今後、さらにどんな絵を描いていきたいですか? 例えば新たな挑戦したいこととかは?
「女の人を全然描かないんで。だから、女の人を描くアーティストと一緒にやるのは楽しんですよ。けど、自分でも女の人を描いていかなきゃダメなのかな?っていう気持ちはありますね。けど、なんか、ちょっと女性描くのは照れちゃうんで。描いても、クシャクシャって葬ります」
ーーー照れちゃうというのは?
「好みがバレるっていうか(笑)。それが恥ずかしいんですよね」
ーーーおじさんのキャラに関しては、今後、歳をとったりとかはしないんですかね?
「う~ん、永遠の40歳くらいの感じで、サザエさん的な考え方をしてもらえらばと。まあ、今後、どう変わるか分からないですけど。これから、白髪とかも増えていくかもしれないですね」
ーーー家族が出来たり?
「そうですね」
ーーーそうなると女性が入ったりとかも?
「はい。そうなると、女の人を描かないといけないので……(苦笑)」
【インフォ】
Instagram:https://www.instagram.com/esowom
ESOW『絵僧暦・DAILY ESOW』
Bueno!Books
4,104円(税込)
https://www.buenobooks.com/
Text & Photos by Kiwamu Omae
writer: Kiwamu Omae