TAZROCインタビュー:ローライダーを愛するグラフィティアーティスト
2019.02.03
アメリカのメキシコ人移民(通称チカーノ)のカルチャーの代名詞といえば、古いアメ車を改造し、車高を低くし、車全体にペイントを施したローライダーだ。80年代終わりから90年代の西海岸はそのローライダーをはじめ、ヒップホップやハードコア、グラフィティ、スケートボード、ストリートウェア等、様々なストリートカルチャーが花開き、数多くのクリエイティブな才能を輩出した。今回インタビューに応じてくれたローライダーのペイントで知られるチカーノのグラフィティアーティスト、TAZROC(タズロック)もその才能のひとり。現在はバリに拠点を置いて活動する彼に、これまでのキャリアについて、自身のアートについて語ってもらった。
――――まずは、自己紹介からお願いします。
「46歳のチカーノ(メキシコ系アメリカ人)。壁と車にスプレーでグラフィティを描いてる。もう30年くらい描いてるよ。ピンストライピング(ブラシで細い線で絵を描いて行く方法)、キャンディペイント(半透明色を何層も塗り重ねる技法)、車のグラフィック、デジタルイラストレーションもやっている。あとは、タトゥーもね。前はBMXのフリースタイルや、ブレイクダンスもやっていた」
――――出身地と今住んでいるところを教えてください。
「オレゴンで生まれて、アートのキャリアを追求するためにLAにやってきたんだ。子供の頃はストリートカルチャーやカスタムカーに囲まれて育った。特にローライダーは自分の家族、そして生活の一部だったよ。4年前に旅を始めて今はLAを離れて、バリに住んで東南アジアを探索してる」
――――LAでチカーノのグラフィティアーティストとして苦労したことは?
「LA、そして世界中でチカーノとして、グラフィティアーティストとしてここまでやってきて、色んなストーリーがあるよ。若い時から、警察は俺のことを見るとギャングだって思うんだ。典型的なメキシコ人の見た目だし、ステアリング・ホイールのインパラに乗っているからね。いつもナイフかバット、それとスプレーペイントを持ってるし。ローライダーに乗ってる時や普通に歩いている時も常に警察に呼び止められていたよ。理由はDWM(メキシカンでありながら運転する)で。理由もなく止められて、理由もなく留置所にぶち込まれることもあったよ」
――――LAとバリや他のアジアの国では、画材等、ペイントする環境はどう違いますか?
「LAでは何でも手に入って、モンタナゴールドやモロトゥ(Molotow)や モンタナ94 なんかを使ってるよ。滑らかさやカラーの豊富さが気に入っている。LAでは店もたくさんあるし、どんな色でも手に入るね。でも、バリではLAで簡単に手に入っていたスプレー缶がなかなか手に入らないから大変だよ。ローカルブランドのものを買うけどカラーバリエーションが少ないから、自分でミックスしなきゃいけない。たまにモンタナゴールドとモンタナ94が手に入るけど。バンコクやクアラルンプールではこの2種類は手に入るけど、在庫がそんなに多くないんだ。だから、東南アジアでスプレーペイントするのはなかなか大変だよ」
――――ちなみに好きな画材は?
「モンタナゴールドかな。自分が求めている噴射の圧力よりちょっと強いんだけど、いろんなテクニックが使える余地があるからね。それに、何と言っても色の種類が豊富なんだ。あと、自分が持っているキャップ(スプレーのノズル)との相性もいいしね。アメリカの主要な都市ではどこでも見つけることができるのもいいね、あとは、モロトゥもいい。だけど、なかなか見つからないから、あまり使ってないよ」
――――影響を受けたアーティストはいますか?
「おじさんのミゲールが刑務所から送ってきた絵にいつも影響をされてきた。あとは、Hex(LA)、Vogue(オークランド)、Sake(サンディエゴ)に影響されたよ」
――――ピンストライピングやキャンディペイントなどの技法でローライダーにもペイントしているけど、今までどんな人たちと一緒に仕事をした?
「俺はずっとローライダーに囲まれて育ったし、ローライダーも何台も所有した。まだすごく若い頃に、俺のグラフィティを見た親戚や友達たちが車に絵を描いてくれって頼んできたんだ。それから、西海岸のカーショーに出るようなあらゆる車にペイントしたり、スヌープ・ドッグとかのセレブリティにペイントするようになった。もうたくさんいるから覚えてないね」
――――LAのストリートウェアの先駆け、CONARTでもデザインをしていましたよね?CONARTと仕事をすることはあなたにとって、どんな意味がありましたか?
「伝説的なストリートウェアブランドのCONARTのデザインができて光栄だよ。CONARTのデザインをしていたレジェンド達と肩を並べることができたんだからね。90年代にジェシー・プエンテ(世界的なBMXのライダー)に、当時ダウンタウンにあったCONARTの倉庫に連れて行ってもらってからずっとファンだったからね。ドープなアーティストがみんなCONARTのデザインをしていた。一番イケてるギアだったと思うし、ブランディングの仕方も凄かった。アッシュは誰よりも早く独自のスタイルのアパレルを出していたんだ。俺はアッシュにとっては、まだそこまでクールじゃなかったから、その頃は声をかけられなかったね(笑)」
――――LAではどんな車に乗っているのですか?
「LAに帰ると乗っているのは54年のシボレーのピックアップ。あとは、真っ赤なキャンディペイントを施したの65年のシボレーのインパラのコンバーチブル。ローライダーマガジンの表紙にもなったし、The GameやYGのミュージックビデオにも出た」
――――今、バリを拠点にしているとのことですが、アジア人で好きなアーティストは誰ですか?
「アジア人のアーティストで好きなのは、マレーシアのクアラルンプール在住のKatunだよ。あとは、アジアじゃないけど、ギリシャのアーティストのInsane51。彼はまだ出てきたばかりだけど、凄い勢いだよ。あとは、あまり浮かんでこないなー。日本人のアーティスト、空山基にも影響されたよ」
――――「Sons of Anarchy」* のビルボード広告等、コマーシャルな仕事もしていますが、そういった仕事についても教えてもらえますか?
「2003年に初めてスヌープ・ドッグの車をペイントしたんだけど、その後に全ての車をペイントして欲しいって言われた。たぶん、7台くらいペイントしたんじゃないかな。あと『From tha Chuuuch to da Palace』のビデオでも壁にペイントした。その後はJAY-Zとビヨンセのビデオでもペイントした。続けて、有名なアーティストのMV、コマーシャル、テレビとか、仕事でたくさん描いたよ。一緒に仕事した中だとスヌープが本当に感じが良かったな」
*アメリカで抗視聴率を記録したテレビドラマシリーズ。違法武器の売買をするバイカー集団のストーリー。
――――自身の作品の中で、一番印象的な作品があれば教えてください。
「印象的だった作品のひとつは、1999年に危ない地域で描いたピースだね。子供たちを取り巻くネガティブなものや、俺たちが陥る腐敗した社会の構造について描いた。タイトルは『Manufractured』。犠牲者を生み出す(manufacture)この社会システムや、夢に挫折した(fractured)人間を描いたんだ。この作品はコミュニティにインパクトを与えたと思っているし、今でも語られているよ」
――――アーティストとして成功したいと思っている人たちに言いたいことは?
「自分は絵を描くのが好きだから、アーティストとしてのキャリアを進んで来た。小さなタグ(名前を描くこと)であれ、大きなミューラルであれ、愛がなければやってなかっただろうね。自分にとっては楽しいことだし、嫌になることもないと思う。もしアートのキャリアを追求していくんだったら、アートを愛していなければいけない。俺にとっての成功はお金じゃないんだ。他の人の人生にインパクトや影響を与えることができるかどうかなんだ。もしお金も入ってくるなら、それはボーナスとして嬉しいね。自分の限界に挑戦して、いい作品を作って、できるだけ多くの人に見てもらうことだね」
――――あなたのアーティストとしてのモットーは?
「自分がやっていること、創造しているもの全てにおいて、より高いレベルを目指すこと」
――――一番得意とする作品のスタイルは?
「フォトリアリスティックが一番得意だね。あとは、綺麗にスムーズにペイントすることが自分のスタイルだと思っている」
――――今もタトゥーもやってますよね?
「やっているよ、タトゥーを彫るのが好きだね。でも、ミューラルの方に時間を取られて、なかなかタトゥーをやる時間がないんだ。日本のタトゥーのスタイルはとても素晴らしいと思うよ。子供の頃からサムライが好きだったし、全身タトゥーにも憧れていたよ」
――――サイトやインスタグラムのアカウントがあれば教えてください。
「インスタグラムとFacebookで自分の作品と、ちょっとだけ私生活についても出しているよ。Instagramは@tazroc、Facebookはこれ」
――――最後にメッセージをお願いします。
「世界中を旅して自分のアートを様々なカルチャー、様々な人たちに見てもらえて、とても恵まれていると思っている。ここにいる限り、続けていきたいと思っているよ。ピース!」
【Information of TAZROC】
writer: Atsuko Matsuda