カツマタ・ヒデユキ インタビュー:極彩色で描く和のファンタジーの世界
2018.07.31
ハナウタに代表される強烈なキャラクターやビビッドな色使いによって作り出される、カツマタ・ヒデユキの絵の世界。時にユーモラスな表情を見せながら、一方でダークな闇が奥深くまで広がり、その幻想的な空間は我々が住む現実の世界とも強くコネクトしているようにも感じる。スウェーデンの人気バンド、リトル・ドラゴンのプロモーションビデオを手がけたことをきっかけに世界的に知られるようになり、今では日本国内よりも、海外で活躍する機会の多いカツマタ・ヒデユキだが、これまであまり語られることのなかった彼のバックグランドから、今現在の彼独自のスタイルが生まれるまでの流れ、アジアを中心とした今の活動についてなど、幅広く話を聞いてみた。
ーーーーまずはバックグラウンドから伺いたいのですが、子供の頃から絵が好きだったのでしょうか?
「まさにそうですね。もともと漫画が好きで、藤子不二雄とかガンダムとかを描いてましたね。あとは浮世絵やピカソとか、分かりやすい2D(二次元)なものが好きでした」
ーーーーそこから、アーティストとして絵を描くようになったのはどういう経緯で?
「もともと洋服屋で働いていたんですけど、そこで知り合った先輩がちゃんとパターンから引いて洋服を作っちゃうような人で、『この人にはどうしても敵わないな』って。だったら、自分の好きなことをやろうって思って本格的に絵を描き始めました」
ーーーーそれまで洋服屋で働きながらも、絵を描きたいっていう気持ちを持っていたわけでしょうか?
「そうですね。落書きみたいな感じで、スケッチブックに描いてました。けど、一番好きなものを仕事にしちゃうと良くないっていう思い込みがあって。若かったんで、そんなもんかなって思ってたんですけど、実際は一番好きなことを仕事にしたほうが楽しいっていうことが、始めてみてやっと分かりました」
ーーーー本格的にアートを始めて、具体的には何を手がけたわけですか?
「働いていた洋服屋の社長がバンドをやっている人で。それもあって、音楽関係の知り合いがいたんで、フライヤーのデザインの仕事をやらせてもらいました。その頃は、S.O.B(注:日本のハードコアパンクバンド)とかのジャケットを描いているTOMさんっていう人が好きで、劇画っぽいモノクロの絵を描いてました。そこからアクリル絵の具でキャンバスに絵を描くようになって。その頃はゴーギャンとかが好きだったのでゴーギャンみたいな絵を描いたり、エゴン・シーレみたいな絵を描いたり。エゴン・シーレとハードコアの絵って、ポージングとかちょっと近いところもありましたね」
ーーーーそこから、現在のスタイルはどのように作られていったのでしょうか?
「その後、バリー・マッギーみたいなアーティストが好きになって。その流れでアメリカのローブローアートやサブカルチャーっぽいものも好きになっていって。その頃に一度、作品の展示でオークランドへ行ったんですけど、実はアメリカには同じような人たちがいっぱいいて。『この層の中でやっても、埋もれるな』って。じゃあ、『自分のやりたいことってなんだろう?』って思って、浮世絵とか漫画とかも好きだったし、より日本的なアイデンティティを感じるものにシフトチェンジしようと。そこからは意識的に和っぽいものをやるようになりました」
ーーーーカツマタさんの代名詞とも言えるハナウタ(HANAUTAH)はどのように生まれたのでしょうか?
「何かの展示のために絵を描いていた時に、夢に出てきたんですよね。一番最初は手足が合計で5本ある、結構おっかないやつで。それを夢で見て覚えてて、気に入って描いたんですが、それをちょっとデフォルメして、キャラクターにしていきつつ。初期は鬼みたいな、卵に手足が生えているような形だったんですけど、それだと喜怒哀楽がつけ辛いなって思って、だんだんと今のような人型に寄ってきて」
ーーーーハナウタはいったい何者なんですかね?
「あれは、ツノのある生き物で、妖精みたいなくくりですね。最初に思ったのが、ムーミンみたいな感じで。あと、ハナウタっていうのは個人名じゃなくて、猫とか犬とか同じようにカテゴリーみたいなもので。なので、ハナウタっていう生き物がいると思ってもらえればと」
ーーーーハナウタは夢から出てきたということですが、作品を作る時のテーマも同じように自分の内側から出てくるのでしょうか?
「そうですね。何かに似ちゃうのが嫌で、外からのインプットを意識的に止めた時期があって。結局は何かに影響をされているんですけど、自分の中で再生というか、組み直して出すように。極力、世界観みたいなものも自分の内側から来るようにって。自分が絵を描く世界観は(『Dr.スランプ』の)ペンギン村が一番近いですね。アニミズムというか、いろんな人や生き物たちが平等に暮らしている世界。あの感じが良いなって思って」
ーーーーつまり、カツマタさんの作品は架空の一つの世界の話というわけですか?
「そうですね。僕の中のファンタジーみたいなものです」
ーーーーカツマタさんの作品は色使いが非常に独特ですね。
「基本的に色が一番好きなんですよ。絵を描く時に、最初、スケッチで全部は描かないで。途中までスケッチを描いたら、色を塗り始めて。色の量優先で絵を描いています。このくらいの量の青色が欲しいからとか、黒いものが欲しいから、ここは髪の毛にしようとか。そういう感じで描いてますね」
ーーーーあと、手のひらに目が付いているモチーフが結構ありますが、これはどういう意味でしょうか?
「これは結構こだわっていて、目って入口と出口みたいな感じがして、好きなんですよね。目って見ることによって情報を得ると同時に、外に対しても眼力で人に影響も与えることも出来る。それが頭にあると首を振らなきゃいけないけど、手にあればどこでも簡単に見れるし、もし手が何本もあれば360度見れるなみたいな。そんな感じですね」
ーーーー話は変わって、先日もバンコクに行かれていたそうですが、海外とのコネクションはどのように繋がっていったんでしょうか?
「日本の仕事をしている時に、結局、クライアントの人が一番だから、当たり前のように『ここの絵をこう変えてよ』とかって言われることに対する不満が溜まっていて。それで海外でやりたいなって思って、最初はMySpace(注:2000年代に世界的ブームとなったSNSサイト)で、絵をアップしていたんですよ。すると海外の仕事がちょくちょく入ってきて。その時にiMovieでビデオも作っていて、ビデオもアップしてたんですけど、まだ、無名だったリトル・ドラゴンから『ビデオを作ってくれ』という依頼があって。それでビデオを作って、あれよあれよという間にリトル・ドラゴンがすごく売れていって。それで他の海外の人も注目してくれるようになっていきました」
ーーーー海外の人はカツマタさんの作品をどう評価してますか?
「やっぱり和風で変なのを描いてるっていうのが好きみたいですね。妖怪感みたいなところが。あと、色が良いっていうのは言われますね。サイケデリックだっていう」
ーーーー最近はアジアが多いようですが、年にどのくらい行かれていますか?
「2、3回ですかね。台湾、タイが毎年行くくらいになってて。来月(2018年8月)には初めての香港での展示があって。あと、年内にタイがもう一回あるかもしれないです」
ーーーータイへ頻繁に行きだすようになったきっかけは?
「最初はバンコクのアートがちょうど来だしている時くらいで。5、6年前に日本人3人でタイのギャラリーでグループ展をやって。その頃くらいからですね。カルチャーとしても面白くて、『行くぞっ』ていう雰囲気があって。自分もそこに混ざりたいと思ったんですよね。アメリカみたいに、タイのアーティストも横にすごく繋がっていくんで、行くたびにどんどんアーティストとも知り合うようになって。展示を観にきてもらったり、観に行ったりして仲良くなって、連絡を取ってみたいな感じですね」
ーーーー最近はTRKというバンコクのアーティストと一緒に、ストレンジャー・ツインズ(Stranger Twins)というユニットでも活動されているそうですね?
「彼とは僕のバンコクでの2回目の展示の時に観に来てくれて、それで仲良くなりました。彼はタイのトラディショナルなことを描いていて。僕も日本のトラディショナルなものをやっているんで、そこが合うんでしょうね。あと、ブラック&ホワイトとか、筆のテクニックとかも似てて。二人で描くと、結構どっちがどっちを描いたか分からない感じになる」
ーーーーヨーロッパでの活動に関しても教えてください。
「今までフランスやスコットランドで展示をやってきたんですけど、ヨーロッパのほうがアメリカよりも反応が良いかもしれないですね。リトル・ドラゴンもそうですけど、その後にミニットメンのマイク・ワッツっていう伝説のパンクバンドの人と、イギリスのザ・ゴー!チーム(The Go! Team)っていうバンドのサム・デュークがコラボしたCUZっていうユニットの仕事をやったんですけど、それでコアなパンクファンにも知られるようになっていって」
ーーーーやはり音楽シーンと繋がると大きいですね。
「音楽は大事ですね。日本だとリトル・ドラゴンとか、ザ・ゴー!チームって言っても知らない人が多いけど、やっぱり海外だと反響は大きいです。あと、日本のメジャーなアーティストのアートワークと、海外のアーティストのアートワークって全然違ったりして。日本は文字の大きさがどうとか、決まりごとが多いけど、海外は自由にやらせてもらえる」
ーーーー日本でももっとアートと音楽が上手く繋がれば良いのにって思いますね。
「そうなっている気もしないでもないですけどね。けど、アートも洋服の世界もそうですけど、日本は派閥みたいのがあって。海外で何かやる時も、自分たちの仲間だけでくくっちゃうから、日本の文化として高まらないし、その後が続かない。それをもっと他にどんどんとシェアしていけば、日本ってものに興味を持つ人がもっと現れて、もっとシーンもデカくなっていったりすると思うけど、なかなか日本の人ってそれをしない。そうなってくると、僕一人でどこの国の人かわからない感じでやっているほうが楽っていうか(笑)」
ーーーー今まで参加した海外でのプロジェクトでご自身にとって大きかったのは?
「スコットランドのDCA(Dundee Contemporary Arts)っていうギャラリーがあるんですけど、そこで個展をやったことですね。ここはギャラリーって言っても、ダンディーっていう町がやっている美術館みたいな感じで、会場のデカさが半端なくて。体育館2個分くらいのところで、壁を描いたり、展示したりっていうので。実は飛行機を乗り間違えて、到着がすごく遅れてしまって。10日間くらいかけて準備をするんだったんですけど、遅れたので結構気合入れてやりましたね」
ーーーー今年の春に開催された、元SMAPの香取慎吾さんが企画した期間限定のアートギャラリー『NAKAMA de ART』にアーティストの一人として参加されていましたが、あれはどのような経緯で?
「香取くんがああいう企画をやりたいということで、知り合いのキュレーターの方に声をかけて、そこで推薦してもらって、何人かいる中から選んでもらったという感じですね。もう展示は終わってますけど、新しい人とかも知り合えて面白かったです。作品も完売しましたし、大成功だったと思います」
ーーーー彼のような知名度のある人が新しいことを始めるのは、日本のアートシーンにとっても良いことですよね?
「僕はそう思います。香取くんとは一緒に絵を描いたりもしたんですけど、アートに対してすごく情熱を持っている人で。香取くんのような人だったら、今までのアート業界が牛耳っているところとは全く違うアプローチで攻めていけるじゃないですか。だから、こういう人が増えたら凄いだろうなって思いましたね」
ーーーー今後、新たに始めたいことはありますか?
「油絵をやろうと思っていて。タイに行った時にアーティスト・レジデンシー(注:一つの場所に招待された複数のアーティストが滞在し、作品制作を行なうもの)に参加していたんですけど、何人かが油絵を描いていて。初めて目の前で油絵を描いているのを見たんですけど、意外と自分にも向いてるかなって。この感じで和っぽいものを描いたほうが面白いんじゃないかなって思って。あとその時に、立体をやっている人もいて、粘土を触らせてもらったんですけど、楽しかったんで、立体でも変なもの作ってみたいなって思いました」
ーーーーちなみにカツマタさんはこれまで正式な美術の教育を受けた経験は?
「無いですね。高卒なんで。本当は高校で美術を専攻したかったんですけど、マンモス校で美術が受けられる人数も決まっていて。タイのアーティスト・レジデンシーでも、向こうのすごい有名な美大を出ているような人ばっかりだったんで、『お前、大学出てないの? 特殊だな?!』って(笑)。あと、一度、セントラル・セント・マーチンズ(注:イギリスの名門芸術大学)で講師をやったことがあるんですけど、その時に『俺、この人たちに教えることなんかあるのかな? 逆に教わりたいくらいなんだけど?!』って思いましたね」
ーーーーけど、それで今、海外で活躍されてるんだから凄いですよね……。他に今後やりたいことは?
「すごく大きな絵を描いてみたいですね。20畳くらいの部屋の中で、壁と天井を全部絵で埋めているような。ピカソのゲルニカじゃないですけど、愛と平和みたいなテーマで、思いっきり集中して描きたいです。実際、好きなものが食べれて、ちょっとだけお金くれれば、そういうところに監禁されても良いなって。休みなく働きますよって」
ーーーーちなみに絵は普段から常に描いているのでしょうか?
「展示がある時はそのために描きますけど、そういうのが無くても自分のために描いてます。前からやってるんですけど、描くテーマが無くなったら、自画像を描いてみたりとか。そうするとその時の自分を見れる。あと、アクリル絵の具で描いてるのに飽きると、鉛筆で描いてみたり。ハナウタばっかり描いていると飽きちゃって、別の絵が描きたくなる。絵を描くための気分転換がだいたい絵っていう。結局、絵を描くのが好きなんですよね。画材を変える、描くものを変える。モチーフを変える。それって、もしかしたら絵を習ってないからかもしれないですね。絵を習わなかったから、そういうことをするのが楽しい。『この形ってこうやって描いたら良いんじゃん!』って当たり前のことに気付いて、すごく嬉しくなったり」
ーーーー最初の話で、一番好きなものを仕事にしたことによって今のカツマタさんがいるわけですが、アートの道を選んで、今まで一番嬉しかったことは何でしょうか?
「忌野清志郎さんと仕事が出来たことですね。もともと清志郎さんのマネージャーとして働いていた人が、清志郎さんのスタイリストをやっていて。その人から、『今度、清志郎さんのブーツを作るんだけど、君、色のセンスが面白いからやってみなよ』って。清志郎さんが描いた絵をもとに、それをトレースしなおして、配色とかを僕が決めて。それをレザー屋さんが切り抜いて、ブーツとして仕立てて。結局、ブーツは3足くらい作ったんですけど、ある時、清志郎さんが『次のTシャツのデザインをカツマタに任せるか』って、全く知らないところで推薦してくれたらしく。それで癌が発覚して活動休止する直前の、ライヴTシャツを作らせてもらって。小学生くらいの時から清志郎さんが大好きで。ちゃんと何かを続けていれば、人生の中で会いたい人に会えるもんなんだなって思いましたね」
取材協力:RFW
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【カツマタ・ヒデユキ プロフィール】
東京都出身/在住。広義で日本的画風のArtist。“HANAUTAH”の産みの親。
Sao Paulo / Brazil、Oakland / US、Dundee / Scotland、Nantes / France、Bangkok / Thailand等、国外のGallery / Museumでの展示、Mural Paintを中心に活動。それに伴い“Little Dragon”や“CUZ” (Sam Dook from The Go! Team & Mike Watt from The Stooges)等に代表されるmusicianへのArtwork / Movie提供も多い。
2017年は南米最大のArt Festivalとも言われる “TRIMARCHI DG” (Mar del Plata, Argentina)にて2,000人の聴衆を前に講演を行う。
2018年には香取慎吾氏が発足させたプロジェクト”NAKAMA de ART”に参加。
2015年より、TRK(Thailand)とのArt Duo “STRANGER TWINS”を結成し、その新作発表展を毎年Bangkokにて行っている。
writer: Kiwamu Omae