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米原康正 × C.H.I 池磊(チリ) 対談

2018.01.10

Photo: Norihisa Kimura

中国出身の写真家でコンテンポラリーアーティストのC.H.I 池磊(チリ)が11月よりDIESEL ART GALLERYにて個展を開催している。本個展のキュレーターは自身もアーティストである米原康正だ。雑誌の編集という共通したバックグランドを持つアーティスト2人が出会って5年。今回初の日本でのエキシビションが実現した。頻繁に中国を行き来し、現地のアート事情にも明るい米原氏と、今、北京で最も注目されているアーティストが衝撃の出会いから現在の中国のアート事情、今後のプロジェクトについて語る。

――――チリさんは今回初めての日本での個展とのことで、東京の印象はどうですか?

チリ「まだ渋谷からは出てないけど、賑やかでカラフルですね。秩序があって聖地という感じがします」

――――お二人の出会いは?

米原「デイヴィッドという今は「ART021」というアートフェスを開催してる友人の北京のギャラリーで2012年にチリの個展を開いていて、そこに行って初めて作品を見た時に、すごいなって、中国にこんな人がいるんだって。その時にチリにも会って、写真も撮りました。Tシャツを作ろうとか色々コラボしようとか話して、最終的に実現はしなかったけどデザインまで考えて。それからしばらくして中国でパーティーに行くと彼もそこに同じ様にゲストで呼ばれていたりとかして、よくイベントで会うことが多くなりました」

――――どんなパーティーだったんですか?

米原「北京で一番大きい映画会社のパーティーとか雑誌『男人装』(イギリスの雑誌『FHM』の中国版)のパーティーで、レッドカーペットを歩きました。割とセレブリティが集まる感じのところでしたね」

――――今回の展示に、ヨネさんが初めて見た時のチリさんの作品はありますか?

米原「最初に見た作品は、6本の糸みたいなものがびよーんとなってる作品で。でもチリは、これはもう前の作品だと思ってるんですよね?」

チリ「自分の中ではもうそのスタイルは古いですね。もう、一度終わったという感じで。今よりももっと適当な感じで作った、あまりクオリティの高くないlow artでした。今回は別の新しい作品も展示しているので是非そちらも見てください」

Photo: Norihisa Kimura

――――チリさんが、ヨネさんと初めて出会った時の印象は?

チリ「一番最初にヨネさんのことを知ったのは、中国内のメディアからこういう人がいるよと聞いてです。ヨネさんはすごく分かりやすいスタイルがある人で、僕が思うカメラマンのステレオタイプはあまり喋らない、ちょっとクールな感じだと思ってましたけど(笑)、ヨネさん本人はこんな感じでした。生き生きしていて中国の若者って感じがすごくします」

米原「中国でも日本でもそうだけど、「いいカメラを持つ=いい写真を撮る」とか「大きいカメラの方がいい」みたいな考え方ってあると思うんですけど、俺の場合は”スナップショット”って言って誰でも撮れる写真をいかにちゃんとアートに見せられるかという手法で、それって今のInstagramの撮り方だと思うんです。まだInstagramが広まっていない時期に撮ってた、ファインダーを覗かずレンズを被写体に向けただけのこの撮り方は、基本的には女子中高生の発明なんだけど、これは当時の僕にすごく新鮮でした。当時は俺がそれをアート業界でやって、皆がそれ何ですかって真似してやりだして。今はアート業界だけでなく色んなカメラマンも普通にこのやり方で撮りますけどね。それと同じことを俺は中国でもやって、大きいカメラで「はい、ドン!」って撮影するのが普通だった中国でも新鮮だったんです」

チリ「これは、テリー(・リチャードソン)さんにも共通点がありますね」

米原「テリーも、1998年に日本に来た時に俺がそうやって撮ってるのを見て「おお~俺もそれやる…」と。で、俺はそうやって撮った写真を集めて『アウフォト』(注1)という本で特集してたりしてました。これなんかも基本的に女子高生からの発信だと思ってるんですけど。ロモ(注2)の現会長のマティアスが『アウフォト』を日本で見つけて、それ以来仲良しになって、展示会をしにヨーロッパに呼ばれてパーティーとかで撮ってたらあっという間に皆が真似しだしましたね。NYとかロスでも同じで。初めて上海に行ったのは2008年で、毎年何回かちょこちょこ行ってたら2010年の万博あたりには皆がチェキを買いだしました」

注1:写真雑誌「アウフォト~OUT OB PHOTOGRAPHERS~」
注2:ロモ(lomography)。ロシアで作られた日本のカメラのコピーをオーストラリアの会社が買い取り現在のロモとなった。新しい遊び心のある使い方でカルチャー色を打ち出しその後ブームとなる。

米原「90年代に日本で流行っていたことを10年後に中国で僕が同じことをして。当時はそういう”決まってること”じゃないことをする人が中国に出始めた頃で、写真っていう部分のみならず、こういうおっさんがいるっていう状況も中国には多分まだなかったので。プロの人達がっていうよりも、誰もができることだったから広がっていった気がします。SNSの広がりと一緒になってたところもあると思いますし」

――――ヨネさんはWeiboなどのSNSをとても活用されていますが、チリさんの場合はSNSに力を入れていますか?

チリ「一応Weiboは25万人フォロワーいますよ。でもInstagramは中国にはないし、時間の制約もあるので、ソーシャルメディアにはそこまで…」

米原「でも一直播(yizhibo)はやってますよ。生放送のアプリなんですけど、昨日は一緒に円山町を回って色々説明しました。なんで赤線っていうのかとか、歴史を語りながら歩きました」

――――普段はどんな投稿をWeiboでしてますか?

チリ「5分間くらいのビデオを自分で作ったり。今日も街を撮ったので、帰ったら映像を作ります」

Photo: Norihisa Kimura

――――お二人とも、エディター出身というところで、物事の捉え方や視点で共通するところはありますか?

チリ「2005年から1年間『Rolling Stone』で美術やアルバム関係のことをやって、06年からカメラを持ち始めました。2008年には自分の美術雑誌『O’ZINE-符号』も創立しました」

米原「チリは1996年から自分のバンドをやっていて、そこのチラシを作るところから始まっているんですよ。デザインから全部やって」

チリ「多分中学1年の時からデザインはやってます。絵が好きだったので小さい頃から壁とかに描いていて。音楽(ロック)に接触したのも中1の時ですね」

米原「パンクバンドだったので。行き所のない気持ちを歌ってたんですよ」

――――政治的なことも?

チリ「歌うけど、なかなか…。それはちょっと直接的には表現できないので」

――――現在の作品の中にもそういう見えないメッセージを入れたりはしていますか?

チリ「ずっと、音楽でも、作品でも、そういう社会的な表現はしています」

米原「だから最初に作品を見た時大丈夫なのかな?っていうのは正直なところありましたね。どんな人かなとか。でも大丈夫なのかなって思う割には派手なパーティーに来てるので、大丈夫なんだなって(笑)」

チリ「雑誌の編集長をやってたので政治的にどこまでは大丈夫かという感覚はあって、分かりますね」

――――他の国に住んでもっと自由に作品を作りたいとか、他の国に住んでたらもっと過激な作品になりそう、とかはありますか?

チリ「今の作品は昔に比べるとそんなに重くなくて皮肉で笑えそうな感じにしているので、自由に作りたいとかは大丈夫ですね。でももし中国から本当に離れたらアイディアが出てこないかもしれないです。社会問題がたくさんあるからこそ今の僕の作品があるので、自由の国に行ったら逆に自由すぎてやることがないかも」

Photo: Norihisa Kimura

――――今回の個展についてですが、元々はヨネさんがチリさんの個展をやりたいということで始まりましたか?

米原「まずDIESEL ART GALLERYさんと色々やりましょうとなった時に、中国のアーティストが日本でちゃんと紹介されることがあまりないので、やれるといいですねという話をプレゼンの時にして、やりましょうとなりました。誰も直接中国のアーティストを見たことがないので」

チリ「そもそも上海とか北京についてのイメージがないですから」

米原「そう、だからどんな作品?って言っても何も浮かんでこないんです。DIESEL ART GALLERY自体では以前、チェン・マン(Chen Man)という中国のすごく有名な女子のアーティストでファッションのカメラマンの人の展示をやったんですけど。今回、チリの場合はもっとカルチャー寄りで僕により近いというか、別にチェン・マンが遠いってわけではないんですけどチリはストリートカルチャーに近い気がするので、彼の展示を初めて日本でできるっていうのはすごいことだなと思うんですよね」

チリ「僕はチェン・マンはそんなに…。商業的すぎて、あまり自分のアティチュードがない感じがします」

米原「それは日本も一緒で、商業的すぎると自由にできなくなります。俺のエロい写真でも嫌がる企業はいるし、エロいって言っても皆のイメージの範疇でのエロいはまだいいんですけど、そこから外れるとね」

チリ「それは中国と日本の共通点としてありますね。中国も時代は昔と違って、自分=メディア、つまり”自メディア”の時代で、これまでのイメージのような雑誌とか大きい会社とかではなくて一人一人がメディア、僕がメディア、この人がメディアという自分がひとつのブランドとして“メディア“である時代が来ていると思います。中国でもそこの自由度が上がっています」

米原「メディアっていう部分で言うと日本よりも中国の方が自由です。中国人と日本人の違いでよく言うんですけど、日本人はまず何ができるかって時に周りを見て、できることを一生懸命考えるんです。でも中国人はまずやりたいことをやる、ってとこが大前提だったりします。できることを考えるのと、やりたいことをやるっていうのはすごく違っていて、日本はまず何がウケるかウケないかってことを気にするから、皆同じになっちゃうんです。中国は統一感はないんですけど(笑)、バラバラで、ほらこうやって皆で話してても皆話したいことを話すから」

チリ「中国はクレイジーですね」

米原「日本人が持ってる中国観は逆に昔の中国に近い気がします」

チリ「中国は自由すぎます」

ヨネさん「システムを使うとか、新しいメディアをどんどんガジェットとして使っていく部分とかも、前例が無くても逆に誰もやってないことを一生懸命探すようなところがあるので」

SOCIAL NEW RELIGION, 2014 © C.H.I

チリ「逆って言うと、実は今の中国人は新しいことをやっていこうっていう昔の日本人みたいです」

米原「高度成長の時って皆が新しいことできるって感じがすごくあったと思います。経済がいいからこそ、ちゃんと色んなものができる感じがしますよね。でも色々と、映画がなかなか進まなかったりね…(笑)チリ、今度映画作るんです」

チリ「ある一つの作品から書いた「Five Star Hotel(五星招待所)」というストーリーです。ホテルというか、すごく古くてボロボロのアパートが舞台で、ヨネちゃんの役は中国人のおっさん管理人。タンクトップでお腹だしてお茶を飲んでるみたいな。色んな人がアパートに集まって一つの社会が構成されてて、例えば警察から逃げてる売春婦とか、そのアパートを利用する人の人間模様をそのおっさんが見ていてそれぞれの部屋で色んなストーリーが繰り広げられるんです」

米原「今の問題としては、中国って映画撮る時に申請をしなきゃいけなくて、まず内容の申請を映画局に出すんだけど、一回返ってきたのが台本の言葉が汚すぎるっていう(笑)」

チリ「あとは正義漢の役の人がいないっていう。全員が悪者なので(笑)」

米原「ハリウッド映画みたいな正義の味方がいないから、キャラクターを整理しないとだめですよと。いま二回目を書いていて…」

チリ「いや、二回目どころかもう十何回目かですよ(笑)」

米原「じゃあもう何回も同じこと言われてるんだ(笑)もうストーリーを根本的に違うやつにしないといけないかも…」

チリ「向こうの要求も分かりますけどね。確かにちょっと社会問題が多すぎるかも。その感覚もなんとなく分かってきました」

――――撮影は、中国で?

チリ「実家の方(石家荘市)で考えてます。そっちの方が感じが出るので」

米原「でも来年の春とかにならないと、今はすごい寒い時だからお腹とかだしたらしんじゃうかも(笑)」

――――それでしばらく一緒に過ごすなら、お二人で何か新しいことをできたらいいですね

チリ「スタート出来たら簡単なんですけど、今が一番難しい段階かもしれないです。楽しみですね」

――――会期中にお二人で何かしたりは?

米原「会期は3カ月あるので、その間に何回かチリを呼びたいですな」

チリ「バンドを再結成したりとか」

米原「今回の個展は、初期の段階から最近の作品までを割と網羅していて、さっきも言ったように古いものも作品としてはありますが、もう彼の中では終わってる部分だったりしますからね。常に新しいことをしていくのでお楽しみに」

Photo: Norihisa Kimura

 

C.H.I 池磊(チリ)

中国の、特に80年代以降生まれの若者に崇拝されているC.H.I 池磊は、芸術家というだけでなく写真家、デザイナー、ロックシンガー、監督、雑誌創設者、編集長と様々な分野でその才能を発揮している。芸術、ファッション、ポップカルチャー、ジャンルの境界線は彼の前には存在しない。1981年生まれ。幼い頃描いた家の壁の絵を見て息子の才能に気づいた両親に自由に育てられる。中学生の頃PUNKに出会い、高校生でバンドを結成。美術系の学校に通いながらもバンドに没頭し、1999年、正式に“昏熱症 HRZ ”というバンドを組み、自作の曲で同世代のバンドとともに国内でのツアーを始めた。河北師範大学(美大)に入ったが、融通の利かなさに絶望し、退学。“昏熱症 HRZ ”はアンダーグラウンドのトップにまで上り詰めたが2003年解散。2005年、雑誌《RollingStone》のアートディレクターになり、2007年、他に類を見ない美術雑誌《O’ZINE-符号》を創刊し、編集長とアートディレクターを兼任。2010年、初の海外での個展をシドニーのWhite Rabbit Galleryで行い、2011年、自分のアート会社C.H.I FACTORYを創立。近年は映画の制作に取り組んでいる。

Weibo(中国語)

米原康正

編集者、アーティスト。東京ストリートな女子文化から影響を受けたその作品は、メディアの形をして表現されることが多く、90年代以降の女子アンダーグランドカルチャーの扇動者でもある。早くからSNSの影響力を強く感知し、そこでいかに日本的であるかをテーマに活動を展開、現在Instagram、Twitter、Facebook、Weiboで日々情報を発信している。2017年6月、同テーマでアプローチの異なる3つの個展開催によるアーティスト宣言をし、更なるステップに登った。

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【中國最先端 – CHINESE CUTTING EDGE –】

アーティスト:C.H.I 池磊(チリ)/キュレーター:米原康正/コーディネイター:CULTURE CLUB ’75

会期:2017年11月17日(金)~2018年2月14日(水) 11:30~21:00(不定休)

会場:DIESEL ART GALLERY(東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocoti B1F)

入場料:無料

展覧会特設サイト

writer: Atelier506