泉谷しげるによる個展「サイバーパンク展」 が 5月16日(金)より tHE GALLERY OMOTESANDO にて開催 !
2025.05.02

2025年5月16日(金)より米原康正がキュレーションをするギャラリー、tHE GALLERY OMOTESANDO にて、泉谷しげるによる個展「サイバーパンク展」が開催。 今回の個展に併せて初の描き下ろしサイバーパンク漫画「ROLLING THUNDER(ローリングサンダー)も発売となり、期間中の週末には特別イベント、米原康正プロデュース『泉谷しげる×米原康正トーク&ライブ60分』も実施する。
■キュレーター 米原康正 コメント
かかってこいや 混沌、暴走、反逆̶̶それは泉谷しげるが半世紀以上にわたってクリエーティブという言葉を武器に体現してきた精神である。
それは実は「漫画家になりたかった音楽家」と自認する泉谷が、70年代から描いてきたサイバーパンク という世界そのものでもある。 テクノロジーが人間性を侵食し、システムが個を抑圧するこの時代に、泉谷のアートが放つ「生の叫び」 は、かつてないほど強いリアリティを持つ。 泉谷しげるの絵には、計算された美しさも、なめらかな秩序もない。あるのは、剥き出しの衝動と、壊れかけた世界に対する苛烈なまでの肯定だ。その筆致は、まるで都市の片隅で今にも崩れ落ちそうな鉄骨 のように粗く、脆く、しかし確かに生きている。 それはまさに、サイバーパンクのビジョン̶̶華やかな未来像の裏に潜む、人間存在の不安定な美しさ ̶̶と響き合う。 今、私たちは再び「未来」という言葉に夢を見られなくなっている。AI、監視社会、気候変動̶̶かつてSFが描いたディストピアは、もはやフィクションではない。 だからこそ、きれいごとではない、泥臭くも激しい「生きる意志」をむき出しにした泉谷しげるの絵画が、 私たちに必要なのだ。 サイバーパンクとは、未来を悲観する物語ではない。どんなに崩れた世界でも、なお生き抜こうとする者たちの物語だ。そして泉谷しげるのアートもまた、同じ精神を燃やしている。音楽活動と共通する「暴発する感情」「既成の枠組みへの抵抗」が濃密に込められている。技術に翻弄される時代の中で、「人間」で あることをあきらめないために。
今回の個展は、飾るためでも、眺めるためでもない。 生きて、壊れて、叫び続けるための泉谷にとっての戦場なのである。
【プロフィール】
泉谷しげる
1948年5月11日 青森県生まれ。
3歳より東京都目黒区で育つ。
1971年、エレックレコードよりフォーク歌手として、アルバム『泉谷しげる登場』でデビュー。
1975年、吉田拓郎、井上陽水、小室等と『フォーライフレコード』設立。
1979年、テレビ朝日系ドラマ『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』でテレビ大賞及び芸術祭優秀賞を受賞し、俳優 としても一躍脚光を浴びる。
1980年、映画『狂い咲きサンダーロード』この石井聡互監督作品で、泉谷は美術と音楽を担当。ブルーリボン美術 デザイン賞を受賞する。
1982年、石井聡互監督映画『爆裂都市/バーストシティ』で美術監督を担当。演技者として出演もする。役者として TBS 系ドラマ「金曜日の妻たちへ」
CX 系「Dr.コトー診療所」
TX 系「三匹のおっさん」シリーズなど、数々のヒット作品に出演。
ミュージシャンとして、1993年の北海道奥尻島救済ライブ「一人フォークゲリラ」活動を全国で行う。
1995年、阪神淡路大震災救済支援の為に再び街頭で「フォークゲリラ」を決行し、その年の9月、神戸メリケンパークで、大規模な音楽フェスティバルを行う。
2011年、東日本大震災救済支援では、大友克洋、浦沢直樹と共に漫画家有志で『マンガサミット』を開催。漫画家の原画チャリティーオークションを行い義援金をiPad などの物資に換えて直接被災地に送り届ける。
2015年より、熊本県阿蘇の地域活性を目的とした『阿蘇ロックフェスティバル』の発起人となりイベントを5回開催した。
2022年9月 『北九州ロックフェスティバル~with SDGs spirit』の発起人となり2回開催し大成功した。
ここ数年は「泉谷しげる全力ライブ」シリーズを各地のライブハウスで展開中。
2025年2月に48年ぶりに古巣フォーライフより CD『シン・セルフカヴァーズ 怪物』をリリース。Instagram:@izumiyahonnin
X:@izumiyahonnin
【開催概要】
タイトル:泉谷しげる 個展 “サイバーパンク展”
会場:tHE GALLERY OMOTESANDO(東京都渋谷区神宮前 5-16-13 SIX HARAJUKU TERRACE S棟2F)
会期:5月16日(金) ~ 6月15日(日) *休廊日 月・火曜日
時間:12:00~19:00