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澁谷忠臣インタビュー:線で世界を再構築するイラストレーター/アーティスト

2017.05.26

ヒップホップを軸とした音楽シーンとも強い繋がりを持ちながら、その一方でNIKE/JORADN BRAND、ADIDASといった大手スポーツブランドから、GIVENCHYといったハイファッションブランドなどもクライアントに持つ、アーティストでありイラストレーターの澁谷忠臣。もし、これまで彼の名前を知らなかった人であっても、線や色を組み合わせた独自のスタイルによって描かれた彼の作風を見れば、実は無意識のうちに様々な場面で彼のアート作品(CDジャケット、洋服、広告など)を目にしていたことに気づくだろう。そんな彼のこれまでの経歴からアート活動全般について、彼自身とも繋がりが深い新宿にあるカフェバー、ドゥースラーにて話を聞いた。

——まず最初に、アートに興味を持ったきっかけを教えてください。

「小さい頃から絵が好きで、描いてはいたんですけど、自分の印象にすごく残ってるのは、(横浜の)桜木町駅の高架下のところに描いてあった絵ですね。親の車に乗って走っている時に、その絵の前を通って見るのがすごく好きで。ロコサトシさんっていう、横浜のアーティストの人が描いたものだったんですけど。その高架下は、のちにグラフィティライターが描くようになっていった場所で。そのきっかけとなったロコさんの描いていた絵が僕は好きでしたね」

——あと、ご両親のお仕事も絵を描くことに関係していたとか?

「うちの親が看板屋さんをやっていて、作業場にもよく行ってました。看板の字を、職人さんが一発で筆だけで綺麗に書いているのを見て、子供心にも単純にすごいなって思ったり。あと、『大きい看板を作ったよ』って、親に連れられてそれを家族で見に行ったりもしてて、そういうのがすごく楽しくて、記憶にも残ってます。今でも僕がクライアント仕事で看板や広告を作ったりとか、壁画もそうだけど、そういうのを家族で見に行ったりしてて。その感覚が自分が子供の頃と全く一緒だなって、最近改めて思いましたね」

——学生時代は美大でプロダクトデザインを専攻してたそうですね?

「受験する頃に、絵を勉強出来る場所があるっていうので、美術大学っていうのを知って。けど、絵を描いて生活をするっていうのが全然想像出来なくて。企業への就職とかを考えたら『工業デザインかな?』って。けど、卒業するころにちょっと違うな?!って気がしてきて。もっと幅広く、いろんな表現でやりたいなって思うようになっちゃったんですよ。それで学校卒業しても就職せずに、バイトをしながら、家でコツコツ作るようになって。最初は造形作家というか、彫刻とか立体物をやりたかったんですけど。でも、いろいろやっていくと、スペースの問題だったり、お金だったり、時間だったり、思った以上に大変だなって。そしたら、やっぱり絵のほうが自由にいけるなって思って。ペンや鉛筆があれば、2D(平面)だけども自分が作りたいことが素早く実現するし。それで平面の作品とか絵を描くようになりました」

——そこから、イラストの仕事をやるようになったのは?

「絵を描くという職業として、イラストレーターという道があると気づいて、自分の作品もイラストっていうものを意識するようになって。イラストの仕事もやれたら良いなって何となく描いていました。それでイラストのコンペに出したら、当時、ワイデン+ケネディ(Wieden+Kennedy)にいたジョン・C・ジェイが審査員をやっていたコンペで選んでもらって。その時にはすでに今のようなスタイルになっていたんですけど、そのコンペで自分でも自信を持てるようになって。それからちょっとずつ仕事が入ってきて。最初はフライヤーとか、そういうところからスタートしたっていう感じですね」

——ちなみにコンペの後、ワイデン+ケネディから仕事の依頼はあったのでしょうか?

「すぐではないんですけども、ちょっとしてから、DJ UPPERCUTの「What You Standin’ For」っていう曲のプロモーションビデオの仕事をワイデン+ケネディの東京LABとやらせてもらって。アニメーションみたいな感じで、コンピュータグラフィックスで自分の絵が動いていて。出来上がりを見て、正直ビックリしましたね」

——直線を組み合わせたりっていう、今のスタイルっていうのは、どうやって生まれたのでしょうか?

「デザインを勉強していた時もわりとミニマルなものであったり、丸と直線の組み合わせとか、幾何学的なデザインが好きで。あと、ヒップホップとか、ブレイクビーツっていう音楽の影響が自分の中でも一番大きくて。自分の中ではヒップホップ、アブストラクトヒップホップ、ドラムンベースっていう流れがあるんですけど、音楽っていうのを線とか面の組み合わせで表現出来ないかな?って。例えば細い線を明るい色で組み合わせたら、エレクトロニカのイメージになるんじゃないかな?とか。あとはレゲエ、ダブとかも聴いてたんで、強い色の太い線をレイヤーで組み合わせていくと、ダブっぽいイメージになるんじゃないかな?とか。あとは、グラフィティの影響とかもあったり。そうやって人や文字を描いたりして、そういうものを組み合わせた時に、今の絵に近いものになってきました」

——そのオリジナルのスタイルを思いついた時は、自分でもすごいものを発見したという感触がありましたか?

「その時は正直、すごくそう思いましたね。何度か描いて、いろいろ変化していったんですけど、『これはあんまり見たいことないぞ?!』って。けど、逆にそれで慎重になっちゃって。ちゃんとしたところで見せないと、人に真似されたら怖いなって。それでコンペで選ばれたから、結果的に良かったなって思いましたね」

——以前から海外の仕事が多いのは、そのワイデン+ケネディとの繋がりからですか?

「いえ。それとほぼ同じ時期なんですけど、2005年に初めて参加したグループ展がBBS TOKYOっていう洋服屋さんであって。その時にピート・ロック&CLスムースを描いたら、それをたまたま見に来ていたイギリスのイラストのエージェントの人が、日本のイラストレーターを探してたらしくて。そこから、海外の仕事をするようになりました。最初は猿の絵を描いて欲しいって言われて、何の仕事だったかは思い出せないですけど(笑)。その当時はパソコンも持ってなくて、友人の家にパソコンを借りに行って、そこからデータを送ってもらったりとかしてました。僕はテクノロジーをテーマにしたりもしていたんですけど、実はそういう流れに全然乗れてなくて。作品でも少し皮肉っぽく、わざとパソコン風に手で描いてみたりしてましたね。けど、今ではパソコンが大好きで、パソコンが無いと仕事が出来ないくらいですけど(笑)。ただの食わず嫌いだっただけで」

TADAOMI SHIBUYA x COOK ONE collaboration at VATES, 2016

——クライアント仕事をたくさん手がけている一方で、定期的に個展もやられてますけども、その二つは対になってる感じですか?

「そうですね。個展をやることで開拓していくというか、畑を耕すというイメージです。展示はこういうのが面白んじゃないか?っていうの提案する場でもあるし、アートとして今まで見たことないものとか、新しい価値観とかを探求する場所として重要で。それがイラストの仕事にもフィードバックされていく。イラストだけだと、同じようなものが出てくる傾向があったり、それをずっとやってるとつまんなくなっちゃうし、飽きられちゃう。コンセプトみたいのをしっかりと自分で作って、それに対しての作品を作って展示するっていうのは自分にとっても大事ですね。だから、肩書きも“アーティスト/イラストレーター”って両方を名乗ってるんですけど、自分はその二つで成り立っていますね」

——去年(2016年)は『IAI』ってタイトルで青山で個展をやられてましたね。

「もともと、未来とか近未来っていうのが自分の中のコンセプトの一つとしてずっとあったんですけど。そこら辺をズバッとやる展示をやりたいなと思って、“人工知能”っていうのをテーマにして。あと、総合芸術として映画っていうものを意識していて、映画みたいなイメージで展示がやれないかな?って。人工知能が出来てから、最終的なオチというところまで、一連の流れを考えたストーリー性のある展示にしました。その前の年は“食”をテーマにした展示をやって。震災の直後は、もともとやろうと思っていたテーマだったんですけど“テクノロジー”をテーマにして。その後に、自分のオリジナルの作品では欠かせない再構築っていうテーマでもやったり。そういう時事ネタを扱ったり、メッセージ性とか何を具体的に表現するかっていうのが好きなんですけども、それもまたヒップホップの影響かもしれませんね」

——普段やられているクライアント仕事はストリート寄りのものが多いですが、個展やグループ展での作品はどういう人たちが購入されているのでしょうか?

「クライアント仕事とは、また全然違うでしょうね。こないだの展示の時も台湾の人がフラッと見に来て、買っていったって聞きました。それこそ、ピート・ロックの絵もその人がヒップホップが好きかは詳しくは知らないんですけど、歯医者さんが買って行ったり。あと、ロサンゼルスのグループ展で、オバマの絵を描いた時は、僕の好きな『They Live』っていう映画にも出ていたキース・デイヴィッドっていう俳優が買っていってくれて。自分の絵がこういう人に刺さるだろうとかはイメージしてますけど、実際に買っていく人は自分がそこまで想定している人ではなかったり。とにかく自分でもどういう結果になるのか分からないんで、いつも不安ですよ(笑)」

——他にも2013年にはワシントンポストからイラストの依頼があったりとか、海外の人から評価されている理由は何だと思いますか?

「もともと、海外で評価されたいっていう意識はありましたけど、正直理由は分かりませんね。海外で頑張りたいとか、海外で受けるようなものを作りたいとか思ってましたけど、そのくらいですかね? けど、そのことに対して、具体的に動いたりはしてなくて。自分から動いても、あんまり上手くいかないこともちょいちょい経験しますし。なんか、自分が出過ぎちゃうみたいで(苦笑)。だからどうしても作品を描いて、待ってるような感じになっちゃってますね」

——最近手がけた仕事で、印象に残っているものを教えてください。

「去年、新潟で25メートルの壁画を描いたっていうのは大きかったですね。元々、魚の水揚げ場みたいなところが長年使われてなくて、廃墟みたいになっていて。そこの100メートルくらいの壁を4人のアーティストで手分けして描いて。自分でもそんなにデカイのを描いたことがなくて。自分の絵は筆の勢いで描くものではないので、それだけ大きくても、どういう風に描けば自分の絵として成立するかをしっかりと考えて、1週間ほどで描き終えました。それまでは地元の人も近づきたくないような場所だったのが、絵を描いたことで人がいっぱい集まってきて、写真を撮ったり、スポーツやストリート系のイベントをやるようになったり。アートで町おこしっていうのは話をしてはよくあるけど、そうやってアートがきっかけになって、新しいカルチャーとか、新しい人の流れができるっていうのを実感出来たっていうのが、自分にとっても大きかったですね」

TADAOMI SHIBUYA at 万代島旧水揚場跡地(新潟市), 2016

——最後にアーティストとして、ストリートアートだったりファインアートだったり、そういう区分けを自分自身で意識することはありますか?

「出てきたところはストリートだし、どう見られているかっていうのはなんとなく分かるけども、自分がやっていることはストリートだけじゃないし、自分の意識としても、そういうようなカテゴリーには分けてはいないですね。けど、どっかにヒップホップっていうのがあるなとは思ってますね。また音楽の話になっちゃいますけど、アブストラクトヒップホップみたいに、自分はその中で“何ヒップホップ”かな?みたいなことを考えたりしますね。成功しているアーティストはみんなそうだと思いますけど、絵で自分のジャンルを作っていると思うんですよね。シェパード・フェアリー(OBEY)とかアーティストとして好きなんですけど、彼はロックだったり、ヒップホップ的なものを描いたり、社会メッセージ的なインパクトもあって。でも、それが何か?っていったら、シェパード・フェアリーのアートでしかない。そういうことが単純に格好良いなって思いますし、そういうジャンルみたいなものを自分も作れるようになりたいですね」

オフィシャルサイト: http://tadaomishibuya.jp/

協力:新宿ドゥースラー http://www.duusraa.com/

writer: Kiwamu Omae