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sneakerwolf インタビュー:初の個展”A”にて披露したカンジグラフィとそのルーツを語る

2017.08.16

これまで様々なストリートブランドや、大手スポーツブランドのグラフィックデザイン、壁面やサインペインティングなどを手がけ、2012年には東京・原宿を拠点に自らのスニーカーブランド<LOSERS>を立ち上げたsneakerwolfこと竹中基。いわゆるデザイナー、あるいは職人としての道を歩んできた彼が、アーティストとして初の個展“A”を今年6月に東京(the PORTER Gallery)と仙台(Revolution)にて開催した。今回の個展でも披露したsneakerwolfのシグネチャーアートとも言える、カンジグラフィ(Kanji-Graphy)誕生の経緯や、自らをアーティストとして名乗るようになった今の彼の思いなどについて話を聞いてみた。

————まず最初にデザイナー/アーティストとして、スケートカルチャーからの影響について聞きたいのですが、やはりスケートの存在は大きいですか?

「一番デカイですね。スケートから影響を受けた人って多いじゃないですか。だから、そういう受け答えはしたなくないなと思いつつ、単純にスケボーのグラフィックやファッションとかだけなく、スケートの全てが良かったですね。僕が一番好きになったのがボーンズ・ブリケード(80年代に一世を風靡した伝説的なスケートボードチーム)のちょっと後、90年前後辺りからなんですけど。その辺くらいになると、若いアメリカのガキみたいのが、白人も黒人も関係なくつるんで。音楽もスラッシュメタルみたいな感じだったのが、だんだんとヒップホップとかジャズとかをビデオで使うようになったり。あと、自分たちでデッキカンパニーやTシャツを作るとかみたいなカルチャーもちょうど始まって。大企業には中指立てて、出来ることは基本的に全部自分たちでやるDIYの精神とか、考え方も含めて、スケートカルチャーの全部に影響を受けましたね」

————実際、自分でデザインを始めるようになった経緯は?

「小学校の時くらいから、キン肉マンの1コマとかをノートに写し描きするみたいのが流行って。好きで描いてたら上手くなって、『このページを描いてよ』ってクラスメートからオーダーを受けてて。だから、今やってる仕事の受け方とあんまり変わらない(笑)。中高の頃は遊ぶのに夢中で、あんまり絵は描いてなくて、みんなと同じようにスケボーとかヒップホップにハマって。高校卒業してからは、普通にバイトとかしていたんですけど、スケート以外にもなんかやっている人たち、TG(トミー・ゲレロ)とかゴンズ(マーク・ゴンザレス)みたいなのが日本でもフワッと盛り上がった時期があって。その時に『お前も絵描けるじゃん!』って言われて、また描き始めるようになっていった感じですね。スケートをしながら絵を描いているような若い奴らを集めてTシャツ作っているような先輩がいたので、そこに参加して、Tシャツのデザインとかをするようになりました」

————カンジグラフィを始めたのはいつ頃からでしょうか?

「始めたのは多分、10年くらい前なんですけど。その頃にはすでにsneakerwolfっていう名前はあって、sneakerwolfとして日本的なものを作りたいなってずっと思ってて。けど、“和”ってそのままやっても、僕らからするとダサいじゃないですか。例えば漢字でそのまま“靴狼”って書いても格好良くない。けど、何か上手いことないかなって考えていたら、思いつきで、アルファベットを漢字みたいに置き換えて描いてみたらどうだろう?って。書道風アルファベットみたいなところから、何度も繰り返していくうちに、アルファベットを漢字の部首みたいにくっつけて、どんどんと組み合わせていって出来ていきました。それで“sneakerwolf”っていう自分の名前をカンジグラフィで作ったんですけどでも、誰も格好良いとは思わないだろうと思っていて、最初の4、5年は誰にも見せていなかったんですよ。それをLOSERSを始めた時に、LOSERSで絡んでいる外国人が、たまたま見て『これなんだ? 格好良いじゃん』みたいに反応してくれて。それでLAでやったLOSERSのイベントで描いたりして、ちょっとずつ自信をつけさせてもらって、やるようになっていったっていう感じですね」

————カンジグラフィ以外でもLOSERSのスニーカーのデザインには草履の鼻緒が取り入れられていたり、昨年デザインを手がけたASICSとKICKS LAB.とのコラボレーションモデルでは火消しの半纏がデザインのモチーフになっていたりと、和や江戸文化を積極的に取り入れている印象ですが、どの辺りから興味を持っていったのですか?

「入りは浮世絵だと思うんですけど、それこそ若い頃は超ダサいって思ってたましたね。でも、(東洲斎)写楽の構図とか表現の仕方は好きだったので、ある時、写楽とは?って調べてみたら、そこから面白くなって。写楽って実は正体が誰か分からなくて、活動期間も8ヶ月くらいしかなくて。そういうところからより興味を持つようになって。けど、未だに芸者とか風景画とかの浮世絵は好きじゃないんですけどね。半纏とかもずっとダサいなって思ってたんですけど、グラフィックデザインとして好きになった感じですね。ただ、日本の好きなものをそのまま出すのはなんか嫌で、抵抗がある。そこに西洋感というか、自分の通ってきたカルチャーは入れたくて。そういう意味では、LOSERSもカンジグラフィはやっていることは同じかもしれないですね。あと、半纏とか歌舞伎とかも結局、江戸時代のストリートカルチャーじゃないですか。時代が江戸時代でも現代でも、俗なものというか反体制なものが好きなんですよね」

 

————今までデザイナーとして仕事をやっていたわけですけど、今回の個展“A”で改めて自ら“アーティスト”として名乗るようになったのはなぜでしょうか?

「美大とかデザイン学校も行ってないので、知識ももちろん無いじゃないですか。だから、アーティストって名乗っちゃいけないって思ってたんですよね。おこがましいというか。けど、アーティストってどこかダサいって思う部分もあったり。その反面、アーティストに対する憧れもあったりして。ちょっとしたコンプレックスというか。一方で、江戸時代の浮世絵師とか屏風絵を描く絵師とかも、虎を描いてくれとか、竜を描いてくれとか頼まれてやっていたわけじゃないですか。それを後の時代の人たちが芸術だって言ってるだけで、本人はそう思ってないで描いている。自分もクライアントに言われた納期をきっちり守って、向こうが求めているものプラスアルファくらいの、クオリティの高いものを納めるっていう、職人っぽいことが格好良いと思って来たんですけど、どっかで表現したいっていうのはあって。結局、職人寄りの仕事をしていると、正解があるっていうか、クライアントが求めるものに対して、明確なゴールがある程度あって。そういうところにただ逃げているだけなんじゃないか?って。自分が表現したいものがあるのに、上手く表現出来ないもんだから、俺は職人だぜって言っちゃってるだけなんじゃないかなって思い始めちゃって。だったら、『アーティストです』って宣言して、『こういうことを表現してます』っていうのも言ってかないといけないんじゃないかなってって。それで今回、初めて個展をやろうって決めました」

————初の個展をやるにあたって、どういうものにしようと考えましたか?

「カンジグラフィよりも、sneakerwolfの作品としてみんなが知っているのって、SUPREMEのやつ(注:ここ数年、SUPREME日本国内店舗のクリスマス・ディスプレイのペイントを手がけている)なんですよね。あの感じのほうが名が知れちゃってるっているのが、少し難しい部分ではありました。けど、今回は全部、カンジグラフィでいこうっていうのは決めてて。カンジグラフィをちょっとずつ自信をつけさせてもらって続けてこれて、今回が一発目なんですけど、集大成くらいの感じでやろうって。これでカンジグラフィを辞めれるぐらいのイメージで。実際、辞める気はないんですけど(笑)。すでに作品のアイディアは結構あったので、場所が決まってから、どのアイディアを作品にしようかって決めてから、全部新作として制作しました」

————個展のタイトルを“A”にしたのは?

「サークルにAっていうのは、パンクのモチーフとしてもみんなが知っているものじゃないですか。アルファベットを複数組み合わせて一つの文字を作るっていう、いつものカンジグラフィを出しても、誰も理解してくれないだろうし。日本人から見ても『何て描いてあるんだろう?』ってなる。“A”っていう誰が見てもわかるアルファベットを漢字にしたら、一発で目に入るだろうし、それで“A”を個展のタイトルにして、そしてコンセプトとしても、アルファベットの始まりの“A”であるし、アーティスト(Artist)の“A”でもあるし、自分の態度(Attitude)を示す“A”でもあったので。もし個展を見に来てくれたら、そこを入り口に、そこから一つ一つ、アルファベットで描いてあるのを読むみたいな感じになって、作品を理解してもらえれば良いかなって」

————実際、個展に来た人たちの反応はどうでしたか?

「結構みんな圧倒されている感じでしたね。けど、それは作品にじゃなくて、量とデカさに圧倒されたんじゃないかなって。直前に草間彌生展を観に行ったんですけど、メインルームのところに大きな作品がたくさん、隙間なくあって。そういう感じに、びっしりとやりたいなっていうのがあって、狙い通りにはなったんですけど。ただ、作品がデカすぎたんじゃないかって。やりたいことをやろうって思ったら、デカくなっちゃったんですけど、何人か友達からも『欲しいって思ったけど、デカすぎて家に置けない』って言われました(笑)。仙台の人はそれほどじゃないけども、特に東京に関しては部屋も狭いだろうし、、、。けど、それは人から言われるまで全く気付きませんでしたね。言われて初めて『そうかもね、、、』って(笑)。自分がやっているSUPREMEもそうだし、美術展行っても基本的にデカじゃないですか。その感覚でやったら、多分そうなっちゃうんですよね。とはいえ、会場も普通のギャラリーみたいに敷居が高い感じじゃなかったので、いろんな人に気軽に来てもらえて。一回目って考えると、大成功じゃないですかね。開催していただいたPORTERとRevolutionさんの協力なくしてはありえなかったので、本当に感謝しています」

————アーティストとしての初の個展を終えて、デザイナーとしての仕事に変化はありますか?

「そこは変わらないですね。さっきも言ったように、クライアントありきのやつは江戸時代の絵の職人みたいに、今まで通り納期と求められているものやるっていうのを、それほど意識しなくても出来るんで。(アーティストとデザイナーを)きっちり考え方を分けている感じですね。それに、アーティストだって言ってる一方で、『お任せで』って仕事を頼まれて、その通りお任せでデザインを出したら、全部ダメ出しとかは今でも全然あるんで(笑)。アーティスト側ではわりと褒められたり、『すごいっすね』って言われる反面、こっちでは未だにそういう、、、(苦笑)。そのギャップを結構楽しんでいる感じですね。逆に天狗にならずに行けるかなって。そのバランスがちょっと面白いかなって思いますね」

sneakerwolf

http://www.sneakerwolf.com/

LOSERS

http://losers-styg.com/

writer: Kiwamu Omae