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Usugrow ロングインタビュー:ローンチ第一弾!

2017.04.06

Atelier506 羽化登仙 (アトリエファイブオーシックス うかとうせん)>のオープニングを記念してお送りするのは、日本のみならず欧米でも人気の高いアーティスト Usugrow(ウスグロ)の貴重なロングインタビューだ。モノクロをベースに点描による独自のペインティングやカリグラフィを駆使した作品を作り出し、ソロやグループ展など様々なアートショウにて自らの世界観を披露。その一方で国内外のクロージングブランドやスケートブランドとのコラボレーションも成功させるなど、多方面で活躍している。<Atelier506 羽化登仙>のロゴデザインも手がけてくれたUsugrowだが、そんな彼が約4年前から制作現場としている都内某所のアトリエを訪れ、これまでのバックグランドから日本のアートシーンに対する思いまで様々な話を聞いてみた。

――まず、どうやってアートの世界に入っていったかを聞きたいんですが、最初はバンドのフライヤーとかから始めたんですよね?

USUGROW「そうです。でも、実はパンクとかハードコアのフライヤーを描く前に、エアブラシをやってたんですよ。BMXとかマウンテンバイクのダウンヒルのレースに出てて、自分のヘルメットを塗ったりしてたんですけど、エアブラシの工程がすごく大変で。下塗りして、白を塗って、マスキングしてとか。そういうのに本当にうんざりして。けど、その頃、パンクとかハードコアのフライヤーとかにハマって、『ペン一本で描いてるじゃないか!』って。その反動みたいなものですね。そういう音楽にハマって、地元のバンドのライヴとかにちょこちょこ行くようになって。そっから、フライヤーも頼まれるようになって」

――その前からアートの才能みたいのはあったんでしょうか? 例えば小学校の頃とかは?

USUGROW「学級新聞の挿絵とかはよく頼まれてましたね。ところが美術としての絵とかは一切評価してもらったことがなくて。美術の授業で絵を描いてるのに、文字も描いちゃって、『これは絵ではない。文字を入れないで描きましょう』って。どうしてもアートとしては評価されない。けど、学級新聞の挿絵とか遠足のしおりの挿絵とか漫画っぽいのは頼まれて。しかも昼休みまでに描いておけよって言われて、やっぱり終わってないんですよね。それも今も変わってなくて。アートでも評価されず、締め切りもバタバタで(笑)」

――今の作品もモノクロが基本なのは、フライヤーからスタートしたからでしょうか?

USUGROW「予算にも制限があって、白黒でコピーすると10円で済むんで。当時はコピー機に写真モードっていうのが無かったんで、ボカしとか出来なくて。けど、点々で描くと二階調だから、そのままコピー出来るし、シルクスクリーンの製版も問題なく出来る。ハードコアシーンのフライヤーとかには先人がいて、皆、ペンだけで描いてたんですよね。パスヘッド(PUSHEAD)、リック・クレイトン、マイケル・シーフ、マッド・マーク・ルードとか。なんかあるんですよね、そういう流れが」

――ちなみにUsugrowという名前はいつ、どのように付けたのですか?

USUGROW「’96年くらいですね。COCOBATのベースの坂本さんが付けてくれたんですよ。Tシャツが薄黒いっていうことで。漢字も薄黒で、アルファベットも今のまま“Usugrow”で。ただ、皆、ウスグロウって呼ぶんですけど、自分の中ではウスグロで。自分ではいちいち言わなかったんですけど、俺、自分からウスグロウって名乗ったことはないんですよね」

――自分で、絵を描くことを仕事として意識するようになったのは?

USUGROW「今も無いですね(笑)。仕事として絵で食っていくんだって、一度も思ったことないですね。それが良くないことなのかもしれないですけど。絵だけで食えるようになったのは23歳くらいで。それも気がついたら、『あ、もうバイトしなくていいじゃん?!』って思って、バイトを辞めたんですよね。それから、ずっと絵でやれてたんですけど、締め切りに追われたりして、本当に疲れちゃって。普通の生活に戻りたいみたいに思って。仕事しながら、趣味で絵を描こうって、14年前に1年間だけ普通に働きました」

――それはどういう仕事を?

USUGROW「『Tシャツくん』っていうTシャツのプリントをする機械を売ってる会社で。仕事して、ビデオ借りてきて、家で飯食いながらビデオ観て、ちょっと絵でも描くかなって描いて、スケートしてから寝てって。そういう生活がすごく新鮮だったんですよ。本当に趣味っていう感じに戻ったら、だんだんと気持ちが柔らかくなって。いろいろと見れるようになって。ライヴペイントを始めてみたり。しばらく目を離してた日本のグラフィティとか、その辺をもう一度見だしたら、なんか凄いことになってて。浦島太郎みたいな気分になっちゃって。これはちょっともう本気でやらないとまずいみたいな。仕事を始めて4ヶ月で、スケートで足を折って、入院したりして。けど、入院中に『やっぱり俺は仕事なんてしている暇はない!』って思って。でも、仕事は楽しかったんで、ちゃんと一年やりました。それがなかったら今ごろ、フェードアウトしてたかもしれないですね」

――ペンを使っての点描から始まって、今ではカリグラフィとかいろんな手法をミックスしていますが、今のスタイルはどうやって構築していったんでしょうか?

USUGROW「昔はペンだけで描いてたんですけど、だんだんと筆を使ったりとか、スプレーを使ったりとか、色鉛筆を使ったり。カリグラフィはフライヤーを描き始めた頃から、自分のアルファベットが欲しいっていうのがあって。それも西海岸のグラフィティ、ヴェニスのタグとか、チョロスタイルとか。2007年にチャズさん(Chaz Bojorquez)とセッションさせてもらう機会を頂いたんですけど、チャズさんと話した事で大きく意識が変わって。なぜ文字を書くのか? 文字で何を伝えたいのか? そこで文字に対する取り組み方もスタイルも大きく変化して今につながってます。あとはスケートのグラフィックだとドッグタウンとかから影響を受けましたね」

――シグネチャとも言える、スカルのモチーフをやるようになったのは?

USUGROW「パンクのシーンとかだと皆、スカルばっかり描いてるんで、俺はあえてやらないで。ちょっと別のほうから行くっていう、ひねくれた感じで、花とか仏像とかを描いてたんですよ。だんだんとそれが妖怪みたいのとか、ホラーとかに移っていって。それがひと通り終わって、スカルも描けるようになっていったから、ちょっと描いてみようって。ちょっと人に見せても良いかなってなってきたんで。それでスカルとか描くようになりましたね」

――海外からの評価が高いですけど、海外のコネクションはどうやって出来ていったんでしょうか?

USUGROW「23歳くらいから毎年、LAへ行くようになったんですよ。日本にいると花粉症がひどかったんで、春先に1ヶ月。そこから、LAには7、8年は毎年通っていて、その時に色んな人に知り合って。メルローズに今でもあるBrooklyn ProjectsっていうスケートショップがまだBrooklyn Houseっていう名前の時だったんですけど、たまたま最初に行った時に、そこで働いていたデイヴと会って、俺の絵を見せたんですよ。そしたら、『俺、このジャケット持ってる!』って。日本のハードコアのシングルとかすごく持ってて、俺のやったジャケットのを何枚か持ってたんですよね。そっから、いろいろと繋がっていって」

――そこから今みたいにヨーロッパで個展をやるようにまでなっていったのは?

USUGROW「LAでやった個展がきっかけですね。LAにずっと通ってたんですけど、ちょっと飽きてきたんで、行くのをやめて。次は個展とかちゃんとした理由で来ようって。それで2006年に『The Preview』っていう名前でやったのが、最初の海外での個展で。ちょうど仕事も辞めて、気持ちも上がっていた時期だったんで、全部自費でやって。そのLAでの個展の写真を見た人たちから、『是非、うちでも』って、いろいろとオファーがくるようになりましたね」

――今、海外はどのくらいの頻度で行ってますか?

USUGROW「1年に2回は何らかしらで行きますね。個展も1年に2回はやってたんですけど、描くのも遅いし、無理にやらないで、一度、ゆっくりやろうって。今年は11月にロンドンで個展があるけど、すでに(作品が)足りないんですけど。どうなるんだろう?って(笑)。あと、野坂稔和(としかず)さんと、4月から東京と台北、上海の3箇所で展示をやります。あとはキプロスに壁画を描きにいきます。それは9月だったかな?」

――海外での人気が高いのは何でだと思いますか?

USUGROW「細かいディティールとか、削っていくっていうところじゃないですかね。欧米の人たちの絵って盛っていく感じじゃないですか」

――アーティストして自分自身、日本人らしさを意識する部分はありますか?

USUGROW「例えば、日本は家も土地も狭いし、そうなるとあるスペースを上手く使うっていう知恵を働かせる。必要なものだけを残すとか、収納上手になったりとか、そういう考え方とかが影響してるんじゃないですかね。足していくよりも、削って上手くやるみたいな。あと、道具も限られていて、そこで何とかしようみたいな。そういう限度があったり、不自由があるっていうのは、意外と新しい発想を見つけるのにすごく良い環境ではある。ハードコアとかは自主制作のシーンなので、予算が無いなかでやりくりしないといけないんで。印刷代がかからずに、見栄えが良くなるようにとか。その反面、良くないのは、『好きにやれ』って言われると、どうして良いかわからない(笑)。もうそれはないですけど、昔はそれがキツい時期もありましたね」

――海外のギャラリーやアートを買ってくれる人と出会うなかで、日本と海外のアートの環境の違いを感じるところは何でしょうか?

USUGROW「アートがとても身近だなとは感じました。部屋にも普通に飾ってあったりとか。フレーム屋さんが結構どこにもあって、皆、絵を買って、フレーミングするっていうこともちゃんと判っていて。そういうのは意外とびっくりしますね。その流れがちゃんとあるというか。あと、アートショウのオープング・レセプションにもいろんな人が来ますね。年配の人から、子連れの人とか、いろんな人が入り混じる感じです。もちろん若い子とかもそうなんですけど。ブラリとおばあちゃんが入ってきて、『まあ、素敵』って買ってくれたりとか。そういうのは日本ではなかなか無いですよね」

――海外のほうがアートがより幅広い層に浸透していると?

USUGROW「ただ、ちょっと俺が言いたいのは、日本のメディアで『もっとアートを身近に』とか、定期的にあるじゃないですか。もちろんそれは良いんですよ。『絵を買おう』っていうのは。でも、日本には浮世絵を始めとした印刷物としての文化っていうのがものすごく熱いわけですよ。庶民の中では浮世絵だったりとか、器とか。生活に密着したところに最上級のトレンドとか技術があって、昔から良いものはすごく見てるんですよ。海外でショウをやって、何年かは、海外ではちゃんと絵を見て買ってくれるし、日本ってアート後進国なんじゃないかって思ったこともありますけど、『いや待て、そうじゃないだろう?!』って。今やアーティストもいろんなことをやっているし、作品を作るっていうのも良いんですけど、別にパッケージのデザインをやろうが、Tシャツのグラフィックをやろうが。それをギャラリーを通して売らなくても、自分たちで売れるし。すごく未来の形だと思うんですよね。日本ではアート作品が売れないとか、アートマーケットがどうとか、そんなことに惑わされるな!って言いたい。その国や地域でそれぞれアートの愛され方ってのがあるんだと思う」

――アーティストとしての活動以外に、ギャラリーの運営やキュレーションをやるようになったのはなぜでしょうか?

USUGROW「基本的におせっかいだからじゃないですかね。ハードコアのシーンだとデモテープをトレードしたりとかっていうのがあるんですけど、自分が良いと思ったのは人に教えてあげたりとかってしてて。あと、ライヴのブッキングとかも、このバンドとこのバンドを呼んで一緒にやったら面白いじゃないかって。そのノリでずっとやってるので、アートショウをキュレーションするのも、初めてやるみたいな感じではなかったですね。自分が一番最初にキュレーションしたのが、2009年にやった『SHINGANIST』っていうので。サンフランシスコとロンドンと東京でグループショウをやって。この後、ちょっとメンツを変えて、メキシコでもやって。すごく大変ではあるんですけど、自分の好きなアーティストに出てもらってるんで、自分でも勉強になるんですよ。絵だけじゃなくて、それがどうやって生まれてくるのかとか、間近で見れるんで。すごく楽しいですね」

――日頃、作品を描くためのインスピレーションとなってるのは何でしょうか?

USUGROW「ここに住むようになってから、月と太陽をよく見ているんですよ。日の入りも見ているし、真夜中の月も見ているし、日の出も見てる。それと音楽が混ざって、こんな景色があったらとかというのを描いてますね。あと、カリグラフィの作品のほうのテーマも月と太陽とか、古代と現代の対話とか、そういう感じで。あと、なんでも首を突っ込むというか。音楽とかの仕事も多いんですけど、ハードコアとかパンクから始まったけど、今はいろんなタイプのミュージシャンと仕事が出来てて。音楽以外でも知らない人とどんどんやりたい。あんまり同じ場所にいたくないっていうのがあるので、もう次に行くよって。それを続けている感じですね」

――自分が思う究極のスタイルみたいのはありますか? 最終的にこういう作品を作りたいとか?

USUGROW「何も描かなくて良いっていうのが一番究極じゃないですかね。削って、削って。真っ白な紙とか見ると、これもう何も描かなくていいんじゃないのかなって思ったりするんですよ。最近好きなのはマチスで。教会(南フランスのロザリオ礼拝堂)のステンドグラスとかシンプルなドローイングとか、何年か前に作品集を立ち読みしたときに、『何だこれ?!』って。昔、見たことあるんだけども、なんで今になってこんなにすごく見えるんだろう?って。けど、自分で急にそれをやっちゃうと『手抜きだろ』って言われるから。ああなるには、まだまだ。けど、やっぱりお客さんの微妙な反応を見たいというか。『こっちですか、、、?』みたいな。もちろん、お客さんに応えるものも準備しつつ、また全部外れたものも、どっちも見せていきたいなって。誰かバンドのインタビューで言ってたんですけど、アルバムを出すたびにお客さんは皆、『昔のほうが良かった』って。でも、次のアルバムが出ると、その前が良かったって。やっぱり一歩進んでないと。もちろん、お客さんの期待に応えるのも大事だけども、そればっかりやってたら、そこで止まっちゃうんで。自分の技量をちゃんと見極めた上で、常に先を行くことが大事ですね」

Usugrow Official Site

http://usugrow.com/

writer: Kiwamu Omae